東京高等裁判所 昭和50年(う)2024号 判決 1978年5月30日
控訴人 被告人・原審弁護人
被告人 山中昇 外一二名
弁護人 吉田太郎 外五名
検察官 村上格一
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、被告人山中、同荒谷の弁護人吉田太郎、同内田達夫連名提出及び弁護人内田達夫提出の各控訴趣意書、被告人細渕の弁護人金澤清提出の控訴趣意書、被告人廣田の弁護人松本治雄提出の控訴趣意書及び同補充書、その余の被告人の弁護人野村佐太男、同小林健治連名提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これらに対する答弁は、検察官提出の答弁書記載のとおりであるので、いずれもここに引用し、これらに対し次のように判断する。
第一、原判示第一及び第二の事実につき、資料提供者、記事作成関与者及び頒布者の間に順次共謀を認めた原判決の判断を論難する主張について。
野村、小林両弁護人の控訴趣意(以下、野村・小林控訴趣意と略称する。他の弁護人の控訴趣意についても同じ。)のうち、(1) 原判示第一の事実につき、廣田の取材に応じ資料を提供した被告人落合、同草階、同東海林、同玉尾、原判示第二の事実につき、荒谷の取材に応じ資料を提供した被告人草階、同落合、同東海林、同玉尾並びに伊藤、佐藤は、原判示の各頒布による犯罪の実行行為に関与していない者であるのに、これらに実行共同正犯者としての刑責があるとしている点に、原判決には、共同正犯理論の解釈の誤りに基づく事実誤認があるとの主張(同第二点第三の一乃至八)、(2) いわゆる資料提供者とされている、被告人玉尾、同東海林、同落合、同草階について、原判示第一については、廣田と、同第二については、荒谷と共謀したと認定している原判決には、採証法則違背による事実誤認がある旨の主張(同第四の一乃至三ノ一)、(3) 原判示第一、第二の各頒布実行者と取材に応じ資料を提供したにとどまる者とを、順次共謀したと認定している点に、共同正犯理論の解釈の誤りに基づく事実誤認があるという主張(同第三の九)、(4) 内田控訴趣意のうち、原判示第二の事実について、被告人草階、同東海林、同玉尾、同落合、佐藤文夫、伊藤為之助と被告人荒谷、被告人山中、更には、被告人落合、同池田、同荻原の順次共謀を認定した原判決は、共謀共同正犯の理論、ひいては刑法六〇条の解釈について誤りを犯し、昭和三三年五月二八日の大法廷判決の判例に違反している旨の主張(同第二点)、(5) 金澤控訴趣意のうち、原判決は、「被告人細渕は、同廣田を介して右共謀に加わり、もつて被告人廣田、同玉尾、同東海林、同草階、同落合および同細渕は、住宅ニユースを公表頒布することを順次共謀した」旨判示しているが、被告人細渕はその余の被告人と共謀したことはないから、右判示部分には事実誤認がある旨の主張(同第四)、(6) 吉田・内田控訴趣意及び内田控訴趣意のうち、原判示第二の事実についての原判決の認定中、(イ)「三月二日夕刻第一会館和食コーナーにおいて、被告人草階、同東海林および同玉尾が、川口の女性関係の話を記事にして掲載してほしい旨を依頼し、被告人荒谷は、それらの話を記事にする旨答えた」旨の判示部分につき、被告人荒谷には、記事掲載の決定権はなく、その記事掲載が決まつたのは、三月四日被告人荒谷が被告人山中に電話連絡して、記事になりうると話した時点においてであること、被告人荒谷は、三月二日の夕刻までの取材では、川口市長の女性関係の輪廓を知つた程度であり、三日以降の裏付け取材の結果を待たずしては、記事になりうるかどうか判断できない時点で、記事にすると答えることは、ありうべからざることであること、被告人荒谷にとつては、被告人草階、同東海林らの依頼を承諾せねばならぬような事情はなかつたことなど諸事情に照らせば、右判示に沿う供述記載のある関係被告人の検察官に対する各供述調書は措信しえないものであり、これを措信して、前記判示部分の認定をした原判決には、事実誤認がある旨の、(ロ)その段階において、原判決は、「ここに、被告人荒谷、同草階、同落合、同東海林および同玉尾は、川口に関して真実性の極めて疑わしい女性関係の噂話等をそれが虚偽であつてもあえて記事にして週刊実話誌上に掲載公表し、選挙のために、頒布することを意思相通じて共謀するに至り」と判示しているが、その段階において、被告人荒谷には、被告人草階、同東海林らの提供した材料の虚偽性の認識は全くなかつたとみるべきであるから、原判決には、この点にも事実誤認がある旨の、(ハ)被告人荒谷が、被告人草階、同東海林らに、川口市長の女性関係の話を記事にする旨を答えたとの右認定の時点で、「同時に被告人荒谷は同伊藤からの前記取材に基づき同様女性関係記事を公表しようと決意し、ここに、被告人荒谷と同伊藤は、川口に関して真実性の極めて疑わしい女性関係の噂話等をそれが虚偽でもあえて週刊実話誌上に掲載公表し、選挙に利用するために頒布することを意思相通じて共謀するに至つた」との原認定には、事実誤認がある旨の、(ニ)更に、三月三日被告人荒谷の取材に同行した被告人落合と佐藤文夫の行為を判示したのち、「以上のようにして、被告人佐藤、同荒谷および同落合は、川口に関して真実性の疑わしい話をそれが虚偽であつてもあえて週刊実話に掲載公表し、選挙のために頒布することを意思相通じて共謀するに至つた」との原認定にも、事実誤認がある旨の、(ホ)被告人山中が、川口の女性関係についての虚偽の事実を掲載した週刊実話を公表頒布することにつき、被告人荒谷を介して、他の被告人らとの順次共謀に加わつた旨の原認定には事実誤認がある旨の各主張及び(7) 松本控訴趣意のうち、原判示第一の後援会、支部、刷新会の各頒布は、被告人廣田と無関係に独自の動機、発端によりなされたものであるといい、被告人廣田を頒布公表の共犯者と認定した原判決には、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りがある旨の主張(同第一点乃至第三点)について。
〔A〕 新聞又は雑誌の頒布という態様による名誉毀損及び公選法二三五条二項の各罪は、取材、原稿の作成、原稿の検討加除による最終稿の決定、最終稿の印刷、発売、読者への頒布という一連の過程を経て、不特定又は多数の読者が、その記事内容を読みうる状況に至つて、はじめて既遂となり、刊行公表される記事の内容をなす事実は、取材という行為により、新聞又は雑誌社がこれを入手するものであるから、右の各罪の実行の着手は、記事の内容をなす事実を取材する時点において生じうるものである。そして、被取材者の提供する事実が記事の内容となつて刊行公表される場合にあつては、被取材者において、それが特定人の名誉を毀損する虚偽の事実であることの確定的乃至未必的認識を有しながら、その公表を意欲し、かつ、刊行された場合、その記事内容が公選法二三五条二項所定の目的をもつて頒布公表されることを予測して、これを取材者に提供するにおいては、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の実行の着手があるのであり、その取材内容が記事に至らないで、つまり紙面に掲載されないで終つた場合には、被取材者において着手した名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪が未遂に終るにとどまるのであると解せられるのであつて、記事の作成、つまり原稿の作成の段階ではじめて、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の着手があるという所論の主張する考え方は、当裁判所の採らないところである。
新聞又は雑誌の頒布による名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪は、被取材者側に、右に述べたような実行の着手があつたとしても、これを取材した新聞社又は雑誌社側が、その提供された事実を内容とする原稿を作成してこれを印刷し刊行しない限り、既遂となる余地はないのであるが、その頒布公表により名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪が成立する記事が掲載されている新聞又は雑誌が刊行された場合、これが不特定又は多数の読者に公選法二三五条二項所定の目的で頒布されることが予測諒知されるのに、その記事の作成と最終稿の決定に関与した記者及び編集者は、その記事の内容をなす事実が虚偽であることの確定的乃至未必的認識を有する限り、その記事の内容となつた事実の資料を提供した被取材者ともども、頒布者の頒布公表行為により成立する名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の共同正犯となるものであり、この場合、具体的になにびとが頒布公表の所為に出るかについて、被取材者及び取材者、記事作成者が予知していることは必要ではないし、また頒布者において、被取材者、取材者、記事作成者がなにびとであるかを特定して諒知していることは必要ではないのであるが、被取材者は、取材者、記事作成者、頒布者の行為を利用しない限り、また取材者、記事作成者は、被取材者の情報の提供行為、及び頒布者の頒布行為を利用しない限り、更に頒布者は、被取材者による情報の提供行為、取材者、記事作成者による記事の作成刊行の行為を利用しない限り、各自の意思を実行に移すことはできないものであるから、被取材者、取材者、記事作成者、頒布者の間には、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し各自の意思を実行に移すことを内容とする意思の連絡があり、よつて右犯罪が実行に至るという関係があるのであつて、原判決は、これを順次共謀という用語で説明しているものと解せられるのであり、原判示第一、第二の各頒布実行者と、取材に応じ資料を提供したにとどまる者、記事作成に関与した者とを、順次共謀した者と認定した原判決には、右(1) (3) 及び(4) の所論のいう共同正犯理論や共同正犯についての法令解釈の誤りはなく、また右(4) の所論引用の大法廷判決の判例に違反したかどもない。そして、以上の見解に立脚して、原審記録及び原審取調べの証拠を検討してみると、
〔B〕 原判示第一の被告人廣田の取材に応じ、被告人落合が、昭和四六年三月三〇日朝、市政批判の文書等(一部はその写)を山王ホテルロビーまで持参し、同所において、被告人廣田に対し、右の各文書に基づいて、概略、地裁跡地の件につき、県有地である地裁跡地と市有地との等価交換、更に秋田ビル株式会社への払い下げの経緯などを話したほか、新屋厚生会の土地を秋田県に売却するのに川口市長が斡旋し、右厚生会の運営資金を捻出した件に関して、川口市長が同会から一〇〇万円の現金か又は三五〇万円の仏像をもらつたものの、その後あわててこの仏像を市美術館に預けたことなどを話したが、右一〇〇万円と仏像のことについては、被告人落合は単なる噂話として聞いていただけで、極めて疑わしいものとの認識を有していたこと、同日午後第一会館内GSクラブにおいて、被告人草階、同東海林、同玉尾は、同席して被告人廣田の取材に応じ、被告人東海林が主となり、これに被告人草階及び同玉尾が口をはさむかたちで、地裁跡地と市有地を等価交換するに至つた経緯、右地裁跡地を秋田ビル株式会社に低廉な価格で払い下げた経緯、秋田プラザへの入居問題、秋田ビル株式会社の実情及び秋田市議会における各党派の議席分布情況等について多少の誇張を交えつつも、その大筋において真実を説明し、そのあと、新屋厚生会の件について、被告人東海林が、新屋厚生会の所有地が川口市長の旋斡により都市建設公社を経て県に転売され、そこに生じた売買差益七五〇万円が同公社から厚生会に還元された経緯を説明するとともに、厚生会が右還元された利益の中から謝礼として川口市長に一〇〇万円を贈つたこと、右の件が市議会で問題になつたところ川口市長はこれについて別に何もいわなかつたこと、そのことに関じ、川口市長は同会にねだつて時価三〇〇万円相当の仏像をもらい、これが問題になつて、その仏像を市の美術館に置くことにしたこと等を話し、これについて被告人玉尾が合槌を打つなどし、更に被告人廣田が、同草階、同東海林、同玉尾らに対し、川口市長の資産が一〇億円以上あるという話を聞いたがどうかと尋ねたのに対し、同被告人らはそのくらいはあるかも知れないと答え、またその際被告人東海林が、某銀行の外交員の話によれば川口市長は現金だけで三億円くらいもつているということだからその他に資産は一〇億円くらいあるだろうなどと話したうえ、右に関連して、被告人東海林が、秋田市で自民党会館の隣接地に土地区画整理事業による保留地ができたがこれがいつの間にか川口市長の個人名義になつていることを話し、更に被告人廣田の手にしていた文書の裏面に右保留地の所在を略図に書いて説明するなどしたが、新屋厚生会の件、資産の件、保留地の件については、被告人草階、同東海林、同玉尾は、非常に真実性にとぼしい乃至はそのような事実はないとの認識を有していたものであること、被告人落合、同草階、同東海林、同玉尾は、真実性にとぼしい乃至はそのような事実はないとの認識を有していた右の事実を被告人廣田に提供した際、それら事実を住宅ニユースに載せてもらつて川口市長を叩いてもらいたいと意欲しており、かつ、その事実を内容とする記事が刊行された場合には、右川口の四選を阻止する目的で、被告人落合は自らこれを購入して市内有権者に配りたいと考え、被告人草階は、落合あたりが買つてばらまいてくれるだろうと考え、被告人玉尾、同東海林は、草階が購入して有権者に配付するだろうと思つていたという各事実が認められるのである。そして、右四名が提供した事実を内容の一部とする記事が住宅ニユースに掲載され、これが原判示のように頒布されたことが認められるのであるから、被告人落合、同草階、同東海林、同玉尾を、虚偽と知つて提供した事実資料の範囲内において、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の実行共同正犯者と認定した原判決には、事実誤認のかどはなく、右(1) のうち、原判示第一に関する論旨は理由がない。
〔C〕 取材に応じ、資料として提供する事実が虚偽の事実であることの確定的又は未必的認識を有しながら、その内容が記事として刊行されることを意欲して取材に応じる被取材者と、取材者間の名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪を行うための共謀は、取材者において、提供された事実が虚偽の事実であることの確定的又は未必的認識を有しながら、それを内容として、記事を作成し刊行すれば、それが公選法二三五条二項所定の目的で頒布されることを予測しながら、その提供された事実を内容とする記事を作成刊行することを決意して、これを明示又は黙示に被取材者に伝えるなど、外的にその決意が示された時点において成立するものと解せられるところ、被告人落合の昭和四六年八月一一日付検察官に対する供述調書中には、「廣田が秋田に取材にみえた時、新聞が出来たら不動産業者名鑑に基づいて郵送しますが、その他に秋田市内の何か名簿はありませんか、それに基づいて送つておきましようという趣旨の話があり、これは私が材料を提供した時だつたと思う……配つてくれるならと思い早速秋田の商工会議所から会員名簿と特定業者名簿を取寄せた。それを廣田に渡したのですが、秋日にいる時に渡したか、あるいは後で郵送したかははつきりしない」旨の記載があり、同落合、同廣田の原審公判における供述により、落合が廣田に提供したと認められる、市政批判の文書の写のうち、原稿用紙に『市長は一〇〇万円の現金か、または三五〇万の仏像か、あわてて美術館に預けたが、知らぬは市民とホトケサマ』との記載のあるものの裏面の万年筆での記載中に、「百万」「礼」「仏像三五〇万円」「市長室」「市美術会に預けた」との記載のあること、及び被告人廣田の昭和四六年七月九日付検察官に対する供述調書七項及び九項の記載に鑑みれば、原判決の判示中「被告人廣田は、前日来の取材活動を通しまた被告人落合から説明を受ける間に、右落合の提供する記事材料の真実性に多分に疑問を抱くとともに同人が住宅ニユースの記事を来るべき市長選挙に利用することを認識したが、右記事材料の性質上これを取材して新聞に掲載すれば秋田市方面に大きな反響が期待され特ダネになるものと考え」、「被告人落合の説明等をもとに記事にしようと考えて、被告人落合に対し、同新聞を秋田市内へ郵送配布するのに適当な名簿がないものか打診をするなどして暗に右住宅ニユースの頒布を匂わせ、これに対し被告人落合が、後日適当な名簿を被告人廣田に郵送する旨諒解を示し、ここにおいて、被告人両名は、前記新屋厚生会に関する事項が虚偽であるかも知れない旨の認識を抱きながらあえて右事項を住宅ニユースの紙面上に掲載公表し、市長選挙のために頒布することを意思相通じて共謀するに至つた」旨の判示は、これを肯認することができ、また、被告人廣田の昭和四六年六月二四日付、同年七月九日付、七月一一日付各検察官に対する供述調書によれば、前記のように、被告人草階、同東海林、同玉尾の三名が、共同して記事材料を提供した折に、こもごも「川口市長のやり方はワンマンだ、この辺でやめてもらわなければ困る」、「川口不動産だ」、「株式会社秋田市だ、もう愛想がつきた」などといつて川口市長が市政を私物化している旨を強調したうえ、それらの話を、右材料をもとに新聞記事にして掲載してほしい旨依頼し、これに対し、廣田は、前日来の取材活動を通し、また東海林、草階、玉尾らから右のような説明を受ける間に、同人らの提供する記事材料の真実性に疑問を抱くとともに、同人らが右新聞の記事を来るべき市長選挙に利用することを認識したが、これらの材料及び被告人落合から提供された材料を主体に住宅ニユース紙に登載する記事を作成しようと決意し、右三名の側から、新聞はいつごろ発行されますかと聞かれたのに対し、帰つたらすぐ原稿を書いて工場に廻すので二、三日したらできると思う、できたら送つてあげますよと答えていると認められるから、この時点において、被告人廣田と、同草階、同東海林、同玉尾との間において、右三被告人が提供し、かつ虚偽であると認識していた前記各事実を内容とする記事を住宅ニユースの紙面に掲載公表することの共謀及び公選法二三五条二項所定の目的をもつてそれが頒布されることの共同認識が成立するに至つたと認めることができるから、この点についても、原判決には、事実誤認のかどはなく、右(2) 前段の論旨は理由がない。
〔D〕 住宅ニユース五一号中の川口市長関係の記事は、右認定のように、被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合と同廣田の共同加功により作成刊行されたものであり、かつ、右五被告人において、右住宅ニユースが公選法二三五条二項所定の目的をもつて秋田市の有権者に荻原派の者により頒布されることの共同認識があり、更に、関係証拠によれば、
(い) 被告人細渕は、昭和四六年二月五、六日頃、右住宅ニユース五一号の記事を見て、真偽に問題のある記事が載つていることを認識しながら、上京してこれを買受け、川口候補の当選を得させない目的で大量に郵送頒布したのであり、その際にこの記事を作成したのが被告人廣田であることを認識していたと認められるのであるから、頒布者である被告人細渕は、なにびとが情報提供者であるかを知らなかつたものの、情報提供者たる被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合及び記事作成者たる同廣田の行為を利用して、自己の意思を実行に移すと同時に、右五被告人の意思を実行に移したものと法律的には評価されるのであり、この評価を、原判決は、「被告人細渕は、同廣田を介して右共謀に加わり、もつて被告人廣田、同玉尾、同東海林、同草階、同落合および同細渕は、右住宅ニユースを公表頒布することを順次共謀した」旨判示しているものである。したがつて、右判示部分には、事実誤認乃至法令解釈の誤りのかどはなく、右(3) のうち原判示第一に関する論旨、(5) の論旨及び(7) のうち刷新会の頒布関係の論旨は理由がない。
(ろ) 後援会の頒布については、頒布者たる被告人落合が、また市支部の頒布については、同古家、同齋藤、同高安、同東海林が、いずれも右住宅ニユースの記事が、真偽に問題のあるものであることを認識しながら購入して、川口候補の当選を得させない目的で頒布したものであるが、その際この記事の作成者が被告人廣田であり、情報提供者が、被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合であることを、後援会の頒布については、被告人落合が認識していたと認められ、また市支部関係頒布の共謀者中、被告人古家、同齋藤、同高安において、記事作成者及び情報提供者がなにびとであるかを知らなかつたものの、被告人東海林は、記事作成者が廣田で、情報提供者が被告人玉尾、同草階、同落合及び同被告人であることを認識していたと認められるから、後援会の頒布については、被告人落合が、また市支部の頒布については、被告人古家、同齋藤、同高安、同東海林が、記事作成者たる被告人廣田の行為を利用して、自己の意思を実行に移すと同時に、被告人廣田の意思を実行に移したものと法律的には評価されるものであり、後援会及び市支部の頒布につき、被告人廣田を頒布公表の共犯者と認定した原判決には、事実誤認乃至法令解釈の誤りのかどはなく、右(3) のうち原判示第一に関する論旨及び(7) のうち後援会及び市支部の頒布関係の論旨も理由がない。
〔E〕 関係証拠によれば、同年三月二日午後、秋田市内の被告人草階方において、被告人荒谷が、川口市長の女性関係についての取材の協力方を依頼した際、被告人草階、同落合が、できるだけ協力すると答え、右両被告人は、川口が国労秋田支部委員長の頃、国鉄関係の東光クラブに勤めていた佐藤と情交関係があつたこと、県議当時上野広小路の県議会指定寮のママと情交関係があつたこと、及び現市長秘書の保坂と情交関係があること等の噂話を提供したこと、ついで、被告人荒谷が取材におもむいた折、伊藤為之助が提供した話の内容は、川口と鶴岡勝子との関係について、同女の姓名、川口が当時、東京上野広小路の県指定寮の娘であつた同女を他の県議と争つてものにしたこと、川口が市長になつて右指定寮を市の寮に指定し以前と同様月三万円位支払つていたこと、川口が同女に金をやつていると耳にしたこともあること、その後他の市職員が気を使つてそこには泊らなくなつたため川口の別邸のようになつているとの噂話があつたこと、及び川口が秋田プラザにある「車屋」に頼んで同女をそこで雇つてもらつているとの噂があるがそれは嘘と思われること等であり、川口と神田宗子との関係について、同女の姓名、川口が県議当時県議会事務局員だつた同女と情交関係ができたこと、県庁の中でもその噂は広まり誰も同女に近づかなかつたが川口は市長になつてから同女に振り向かなくなつたこと、そこで同女もいろいろな男性と関係があると噂され、同女も出先機関へ転勤になり、同女と関係があると噂された県厚生部の某課長も左遷されたが、川口はそれくらいのでたらめはやりかねないこと等であり、また川口と保坂孝子との関係について、同女の名、川口と同女が情交関係にあることは市役所内ではあまりにも有名であること、川口の個人的な預金の出し入れも同女がまかされ、同女名義の預金もたくさんあること、及び川口が秋田市土崎に同女の家を建ててやつたとの噂もあること等であり、更に、土木会社工藤組について、工藤組の社長が川口と個人的に親しいので、工藤組は市の工事を請負わせてもらつていること等であらたが、ついで被告人伊藤は、同荒谷から「もつとおもしろい話はないか」と聞かれ、以前被告人伊藤が川口らとともに県議会の総務委員として出張で佐渡ケ島へ行つた際、川口がその連絡船上で一緒になつた弘前から来た未亡人と仲良く話をしていたこと、及びその後川口をひやかすために皆で「あの船の上のシートの中でやつたのでは」と話したことを素材として虚偽の話を作り上げ、被告人荒谷に対し、川口が右連絡船上で皆の見ている前でシートをはがしてその中で右未亡人と肉体関係を結んでしまつた旨話したこと、同日夕刻第一会館和食コーナーにおいて、被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合の同席するところで、被告人荒谷が伊藤から聞いてきた一人一人の女性についてのエピソードや連絡船上の話などをも話したが、被告人東海林、同玉尾、同草階及び同落合は、こもごも被告人荒谷に対して、鶴岡が東京麻布のマンシヨンに住んで月に二、三回秋田へ来ること、川口は同女に「車屋」をプレゼントしたこと、川口が国労秋田支部委員長の頃東光クラブに勤めていた佐藤と情交関係ができ、同女を現在鉄道クラブの雇われママにしていること、川口と神田の間に情交関係があるとの話を聞いていること、川口は保坂に家をプレゼントしたこと、保坂は親と別れて土崎に一人住んでいること、及び工藤組の社長と川口の仲が良かつたので何かそこにくさいものがあると言われていること等を話したこと、佐藤文夫は、被告人落合と一緒に被告人荒谷が取材するのを自動車で案内している間に、同月五日頃、工藤組の前社長工藤吉隆と川口とが麻雀友達であつたこと、工藤組が請負つた市の下水道工事の完成が遅れて市議会でも問題にされたことがあること、及びその際市係官が工藤を市庁舎へ呼んで工事が遅れていることを注意すると工藤が「あんた方がわからなければ、市長に直接言う」と係官に喰つてかかつたことがあること等を素材として虚偽の話を作り上げ、被告人荒谷に対し、工藤組の前社長は川口と親しく、工藤組で請負つた市の下水道工事の完成が遅れて市議会で取り上げられそうになつた際、川口市長がそれをもみ消したが、それ以後川口と社長との間に溝ができ、川口は工藤組に市の工事を請負わせなくなつたこと、そこで社長は市庁舎へ怒鳴り込み川口の女関係などを喋りまくり、秋田大学の整地工事をもらつたこと、社長が急死すると市はその秋田大学の工事を他の土木会社に請負わせたこと等を話したこと、伊藤が提供した資料のうち、連絡船上での未亡人との交合の話は全くの作り話であり、鶴岡勝子に関するもののうち、川口と深い関係があつたかどうか、その寮が川口の東京別宅といえる状況にあつたかどうか、川口が同女に手当を与えていたかについては噂話にすぎず、伊藤として真偽の程を知らなかつたものであること、保坂孝子に関するもののうち、川口が保坂と深い関係があるとか、母親が邪魔になるので母親と別れ一人暮しをしているとか、川口が保坂に家を建てて与えたとか、川口の預金の出し入れは同女に自由にさせているという話は、これまた噂話で、確かな根拠があるものではないことを伊藤が認識していたこと、神田宗子に関するものも噂の域を出ないもので真偽の程がわからぬことを伊藤が認識していたこと、右三女性と川口との関係についての話はその真実性が疑わしく、虚偽かも知れぬと伊藤が考えていたため、川口批判のため秋田ジヤーナルに掲載することを用心して差しひかえていたものであること、そして伊藤は、右の各事実を荒谷に提供した際、それが適当に潤色されて週刊実話に掲載されることを承知し、川口の四選阻止に同人の女性問題の件を利用できたらこれを荒谷に提供して書かせようと思い、かつ、その話が週刊実話に載れば、反川口派の者が川口を落選させるため大量に入手して、秋田市内の有権者に配るなどして利用するものと予測していたこと、佐藤が提供した資料は、佐藤が知つていた事実を素材として作り上げた全く虚偽の事実であり、佐藤としては、荒谷が記事を書く材料として取り上げてくれることを意欲していたものであり、かつ、川口の四選阻止の目的で、川口の女性問題に関する記事が週刊実話に載つたら五、〇〇〇部から一万部を秋田市内にばらまくことの必要性につき被告人落合と話合い、被告人荒谷に、川口市長の女性問題に関する記事が出たら五、〇〇〇部か一万部県連で買う話が出ている旨を告げたことがいずれも認められ、また、被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合が前記和食コーナーに同席して、こもごも被告人荒谷に提供した情報のうち、鶴岡が秋田ビルの車屋のママに納まつており月に二、三回秋田に来ているという話は、被告人東海林が話し、同玉尾、同草階がそうだそうだと合槌を打つたもの、川口が佐藤イエと深い関係にあるという話は、被告人草階がして、同東海林が合槌を打つたもの、保坂が川口と深い関係にあり、最近家をプレゼントしてもらい土崎に住んでいるという話は、被告人草階がし、同東海林がそうだそうだ、保坂は親と別れて土崎に一人で住んでいると話をしたもの、工藤社長と川口との間にくさいものがあるという話は、被告人草階がしたもの、神田宗子と川口と関係があつたと聞いているという話は、被告人玉尾がしたものであるが、これらの情報につき、草階は真偽の程は疑わしいという気持もあつたが、ともかく、川口が四選できないよう叩いてもらう為、荒谷に提供したものであること、被告人玉尾は、佐藤イエと川口が深い関係にあるとの話は初耳であり、また、その余の女性関係については真偽の程は疑わしいと思つたが、記事にしてもらうことを意欲して、他の人の話に合槌を打ち肯定するような態度をとつたもの、被告人東海林は、その席で出た女性関係の話は単なる噂の域を出ず、極めてあいまいなものであることを認識していたが、川口の四選を阻止するため、被告人荒谷がこれを記事にしてくれるものと思つて提供したということ、このようにして提供した川口の女性関係の記事が週刊実話に載れば、被告人草階は、自分で買つてばらまくまでの考えはなかつたが、秋田市内に配付されることは予測したこと、被告人東海林は、誰がまとめて注文するかはわからなかつたが、誰かが注文して秋田市内に配付することを予測していたと推認されること、被告人玉尾は、草階らが購入し秋田市内に配られ、川口の四選阻止の為に利用されることを、また、伊藤、佐藤も自己の提供した事実についての記事を載せた週刊実話が、選挙に関し頒布されることを各認識していたことの各事実が認められる。そして、右六名が提供した事実を内容の主要部分とする記事が、被告人荒谷の関与により週刊実話に掲載され、これが原判示のように落合により頒布されたことが認められるのであるから、被告人草階、同東海林、同玉尾並びに伊藤、佐藤を、虚偽と知つて提供した事実資料の範囲内において、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の実行共同正犯者と認定し、また頒布者たる被告人落合との共犯者と認定した原判決には、事実誤認のかどはなく、右(1) 及び(3) の各論旨のうち、原判示第二に関する論旨は、いずれも理由がない。
〔F〕 関係証拠に照らし、原審が措信したことに違法のかどがないと認められる被告人荒谷の昭和四六年六月二四日付、七月一一日付、同玉尾の七月一三日付、同東海林の七月一四日付、同落合の七月二日付、七月一七日付各検察官に対する供述調書中の関係記載、被告人荒谷の原審公判における供述によれば、前記三月二日夕刻第一会館和食コーナーにおいて、川口市長の女性関係の話ののち、川口市政についての露骨な批判及び同年四月に施行される市長選挙では自民党も候補者を一人にしぼつて川口市長の四選を阻止するつもりであることが話題とされ、被告人草階、同落合、同東海林及び同玉尾が、前記の各女性関係の話を記事にして掲載してほしい旨依頼し、同荒谷は、これらの記事が特ダネになると考え、かつ、右記事を掲載した場合その雑誌が右被告人らによつて選挙のために頒布されることも認識したうえ、正義感からそれらの話を記事に書きましようと答え、次の週の号に載るだろうと話したと認められ、この時点において、被告人荒谷、同草階、同落合、同東海林及び同玉尾は、川口に関して真実性の極めて疑わしい女性関係(神田との情交関係を除く)の噂話等をそれが虚偽であつてもあえて記事にして週刊実話誌上に掲載公表し、選挙のために、頒布することを意思相通じて共謀するに至つたと認められるから、右(2) 後段の論旨は理由がない。所論中には、この時点において、駆出しの取材記者にすぎない被告人荒谷が、週刊実話を代表して書いて載せますよということ自体ありえないことであるとの主張があるが、被告人草階の昭和四六年七月一四日付検察官に対する供述調書四項中に、翌三日夜GSクラブで被告人荒谷、同落合に会つた際、「真実性について非常に疑わしい川口市長の女性関係が週刊実話に載り、秋田市内で配付されるであろうという事が判つていたので、なんだか不安を感じたので、荒谷に対し、あんな事書いて大丈夫だろうかと聞くと、荒谷は、何心配いりませんよ、絶対に迷惑をかけませんから大丈夫ですよなどと言つてくれたので、私は安心した記憶があります」との記載のあること、被告人荒谷は、原審で、三月五日離秋するまでの間に佐藤文夫から自民党県連が川口の女性関係の記事の載る週刊実話を五、〇〇〇か一万部買いたいという話があつたと供述していることに鑑みれば、被告人荒谷が、週刊実話社を代表して述べたとはいえないまでも、三月二日夕刻和食コーナーで、被告人草階、同落合、同東海林、同玉尾の面前において、川口の女性問題を記事に書含ましようと答えた事実は存在したものと認めざるをえない。そして、被告人荒谷の昭和四六年六月二四日付、七月一一日付各検察官に対する供述調書中の関係記載によれば、右の共謀成立の段階において、それまでに取材した川口の女性関係の話は、本当とは思えない話や、真実性のはつきりした根拠のある取材のできていなかつたものであることについて、被告人荒谷がこれを認識していたと認められるから、同被告人に、虚偽性の認識が全くなかつたことを前提とする右(6) の(ロ)の論旨も採用の限りではないし、また、被告人荒谷は、記事にすれば反川口派の連中が選挙戦に利用し、川口四選阻止に使うことは推測できたものと認められるから、被告人荒谷と、同草階、同東海林、同玉尾、同落合との間に、原判示の共謀が成立した旨の原認定には、採証法則違反による事実誤認のかどはなく、右(4) 及び(6) の(イ)の論旨は、いずれも理由がない。
先に述べたように、伊藤が被告人荒谷に提供した話の内容については、伊藤自身虚偽であることを認識し、乃至は、その真実性が疑わしく虚偽かもしれぬと考えていたものであつたが、伊藤は、それが適当に脚色されて週刊実話に掲載されることを承知し、川口の四選阻止に同人の女性問題の件を利用できるなら、被告人荒谷にこれを書かせようと思い、かつ、その話が週刊実話に載れば、反川口派の者が川口を落選させるため大量に入手して秋田市内の有権者に配るなどして利用するものと予測していたものであり、被告人荒谷においても、伊藤から提供された話の虚偽性を認識し、かつ、それが週刊実話に掲載されたら、川口四選阻止に使われると推測していたのであるから、被告人荒谷が、同草階、同落合、同東海林、同玉尾の川口市政批判及び四選阻止の話を聞いて、伊藤や右の四被告人から提供された情報に基づき川口の女性関係につき記事を書こうとの意思を表明した諸点において、荒谷と伊藤の間においても、川口の女性関係についての噂話等を、虚偽であつても週刊実話誌上に掲載し、川口の当選を得させないため頒布公表することの共謀が成立したものと認められ、この点の原判示にも、事実誤認のかどはなく、右(6) の(ハ)の論旨も理由がない。
また、関係証拠によれば、佐藤が、前叙のように被告人落合の面前で同荒谷に提供した工藤組の前社長の話は、全くの虚偽のものであつたうえ、佐藤としては荒谷が記事の材料として取り上げてくれることを意欲し、川口の女性関係の記事の載つた週刊実話を川口の四選阻止のため市内にばらまくことを被告人落合ともども予測していたのであると認められ、かつ、荒谷が佐藤から提供された話を、虚偽かもしれぬとの認識を有しながら、週刊実話の本件記事の素材の一つとしたのであるから、少なくともK組の件の記事の範囲において、被告人荒谷、佐藤及び被告人落合の間にも、川口に関して真実性の疑わしい話を、それが虚偽であつてもあえて週刊実話に掲載公表し、川口市長の四選阻止のため頒布することを意思相通じて共謀したと認められ、右(6) の(ニ)の論旨も結局理由がない。
〔G〕 関係証拠に照らし、原審が措信したことに違法のかどがないと認められる被告人山中の昭和四六年六月二四日付、六月二七日付、七月八日付各検察官に対する供述調書、本件記事の原稿、被告人荒谷の原審公判の供述その他関係証拠によれば、被告人荒谷の取材をもとに檜垣がリライトした原稿三八枚を見て、被告人山中としては、記事内容のうち、連絡船上の記事及び松岡京子関係の記事は事実に反するし、その余の山田京子関係の記事及び奥田春子関係の記事の一部も事実と違うのではないかと感じ、右原稿の内容に市長選挙の件や、「アンチ川口派のデツチあげとみれないフシがないでもない」との記載のあつたこと、及び被告人荒谷から秋田の自民党関係者から市長の女性問題の載る週刊実話を五、〇〇〇部ばかりまとめて買いたい申出があつたとの話を聞いていて、荒谷の取材先や秋田で会つた関係者の中に自民党関係の人がいるとわかつていたことなどから、取材先の自民党関係者が、川口を落とすため、ありもしない川口の女性問題をさも事実あつたように荒谷に話したものだと思い、かつ、その原稿の女性関係の記述をそのまま最終稿の内容として週刊実話に登載すれば、自民党関係者が市長選挙で川口を落選させるため、これを秋田市内に配り、選挙に利用することはわかつていたが、表紙ネームを入れたあとで、代りの原稿を集める時間もなかつたので、原稿に多少の加筆訂正をして掲載することにして最終稿を印刷に廻したとの事実が認められる。この事実関係のもとにおいては、真実性について裏付けのない極めて疑わしい川口の女性関係等の話を、それが虚偽であるかも知れないがあえて記事にして掲載公表することについて、被告人山中が同荒谷が意思相通じ、かつその際、被告人山中も、右記事の載つた週刊実話が川口四選阻止の目的で秋田市内で自民党関係者により頒布公表されることの認識を有していたと認め、被告人山中を、被告人荒谷を介して、他の被告人らとの順次共謀に加わつたとした原認定には事実誤認のかどはなく、右(6) の論旨も理由がない。
第二、原判決には、主文と理由との間にくいちがいの違法がある旨の主張(野村・小林控訴趣意第一点)について。
〔A〕 一人の被取材者が提供した事実についての資料は、記事の最終稿になるまでの間に、他の被取材者が提供した別な事実についての資料が参酌されたり、添加されたりし、また、記者や記事作成者により加筆修飾されたりして一つの記事となるのであつて、必ずしも提供された資料そのままの姿で記事の内容となるものではない。そしてその記事の掲載された新聞や雑誌が、前項で述べた順次共謀によつて頒布公表され名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪が成立する場合には、資料提供者にとどまる者の責任は、その公表を意欲して提供した虚偽の事実の資料の範囲内にとどまるものである。
原判決は、住宅ニユース(判示第一)の記事に関し、被告人玉尾、同東海林、同草階に対する各公訴事実中(1) 地裁跡地払い下げの件及び(2) 一七社の件の、被告人落合に対する公訴事実中(1) 地裁跡地払い下げの件、(2) 一七社の件、(3) 資産の件及び(4) 保留地の件の、各事実を公表摘示したという点については、いずれも、公職選挙法違反及び名誉毀損の罪の犯罪の証明がない、ただし、被告人東海林((1) 地裁跡地払い下げの件及び(2) 一七社の件)及び同落合((1) 地裁跡地払い下げの件、(2) 一七社の件、(3) 資産の件及び(4) 保留地の件)については、同被告人らが住宅ニユースに掲載された右各記事を一読したうえで頒布自体の共謀に加担した分(被告人東海林につき自民党秋田市支部関係の頒布分約九、四〇〇部、被告人落合につき後援会関係の頒布分約二、六六九部)に限つては、犯罪の証明があつたと判示し、また、週刊実話(判示第二)の記事に関し、被告人玉尾、同東海林及び同草階に対する各公訴事実中、(1) 連絡船上の件、(2) 松岡の件のうち、川口が市長になつてから東京の寮は市会議員の寮にかおり、月三万円の家賃と彼女への手当を払つて市長の東京別宅扱いだつたということ、(4) 奥田の件、(5) B子の件のうち、川口市長は同女を市の金も自由に出し入れできる立場においていること、及び(6) K組の件等の事実を公表摘示したとの点については、公職選挙法違反及び名誉毀損の罪の犯罪の証明がないとしたうえ、いずれも、当該被告人について罪となるべき判示第一又は第二の事実と、一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるので、いずれも主文において特に無罪の言渡をしないと判示している。
所論は、主文で無罪の言渡をするべきもので、その言渡をしないことは主文と理由のくいちがいに当ると主張する。
前項第一の〔A〕に述べたように、被取材者が取材者に虚偽の事実についての情報を、記事として公表されることを意欲して提供する個々の行為は、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の実行の着手にとどまり、記事作成者及び頒布公表者の加功なしには既遂とならないものであり、かつ、頒布公表された一つの記事の中に、他の被取材者の提供した別な虚偽の事実についての資料や、記者や記事作成者の加筆修飾した虚偽の事項が含まれている本件住宅ニユースや週刊実話の記事のような場合には、個々の被取材者の提供した、虚偽の事実についての情報に基づく虚偽の事実の記載は、その頒布公表が前記の罪を構成する一つの記事の一部をなすものであり、その記事を頒布公表するという一つの行為により、一罪が成立するに至る関係にあるものであるから、個々の被取材者が、右記事の内容となる数個の虚偽の事実の一部について、これを虚偽の事実と知り、かつ、記事として公表されることを意欲して提供したものとの認定がなされた所為と、記事のうちその余の虚偽の事実を提供したこと乃至は提供したが虚偽の事実であることを認識していたことの点について証明が十分でないとされた所為とは、別罪の関係に立つものではない。したがつて、その提供をしたこと乃至は提供はしたが虚偽の事実であることを認識していたことの点について証明がないとされた所為と、罪となるべきものとされた所為とを、一罪の関係にあるとして起訴されたものと認め、犯罪の証明がないとされた点について、主文で無罪の言渡をしなかつた原判決の措置に違法のかどはなく、論旨は理由がない。
〔B〕 原判決は、
「被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕に対する各公訴事実(本件住宅ニユース約二万三、〇〇〇部の頒布)のうち、
(1) 被告人池田および同荻原については後援会関係の頒布分(約二、六六九部)および自民党秋田市支部関係の頒布分(約九、四〇〇部)以外の頒布分
(2) 被告人齋藤、同古家および同高安については自民党秋田市支部関係の頒布分(約九、四〇〇部)以外の頒布分
(3) 被告人細渕については、刷新会関係の頒布分(約九、五一四部)以外の頒布分。」
については、犯罪の証明がないとし、
「これらは、いずれも、当該被告人についての判示罪となるべき事実第一(住宅ニユース関係)と一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、いずれも、主文において特に無罪の言渡をしない。」
と判示しているのであるが、小林弁護人は、この点についても、主文で無罪の言渡をするべきもので、その言渡をしないことは主文と理由のくいちがいに当るから、職権発動を願うという。
しかしながら、本件住宅ニユースの各記事の材料提供乃至記事の掲載、発行等に関与した被告人廣田、同玉尾、同東海林、同草階及び同落合は、原判示のような各共謀の範囲の限度において、後援会関係(約二、六六九部)、自民党秋田市支部関係(約九、四〇〇部)及び刷新会関係(約九、五一四部)のすべての頒布分について、頒布の概括的認識を有し、共謀による刑責を負うのであり、右各共謀者に対しては、後援会関係、市支部関係及び刷新会関係の頒布は包括して一罪となるものであるところ、被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原及び同細渕は、いずれも、本件住宅ニユースの具体的な頒布行為を個別的に認識して、前記の材料提供乃至記事の掲載、発行等に関与した各被告人と順次共謀のうえ、包括して一罪となる所為の一部に加わつたその認識共謀の限度においてのみ刑責を負うことになるのである。そして、右被告人六名についての起訴状の記載(原審第一回公判で訴因の変更のあつたものを含む)に鑑みれば、右各被告人が個別的に認識のあつたことの証明のあつた具体的頒布行為と、個別的に認識があつたことの証明のない具体的頒布行為とが、包括して一罪の関係にたつとして訴追されていると認められるから、個別的に認識のあつたことの証明のない具体的頒布行為に関しては、罪にならないことを理由中で示せばたり、主文で特に無罪の言渡をすることは必要ではない。したがつて、右の職権発動を求める申立について、職権の発動はこれをしないこととする。
第三、住宅ニユースの自民党秋田市支部関係の頒布及び刷新会関係の頒布についての原認定を論難する主張について。
〔I〕 野村・小林控訴趣意のうち、原判示第一の事実中、市支部の頒布に関し、(1) 二月八日頃の役員会の席上、住宅ニユースの購入頒布が話合われた折、被告人東海林はその席を玉尾と共に中座しており、その席にいなかつたものであるから、被告人東海林を支部の頒布の共謀共同正犯者と認定した原判決には、採証法則違背による事実誤認がある旨の、(2) 被告人高安が右二月八日頃の役員会で回覧に供した住宅ニユースは、二月一六日に高安の所に到着したものであるから、二月八日頃の役員会でそれを回覧に供したことはありえず、したがつてその購入頒布が話合われ、被告人東海林、同齋藤、同古家及び同高安が林らとともに、その頒布を二月八日頃共謀した旨の原判決には、事実誤認がある旨の、(3) 被告人古家は、右役員会で右の頒布の話があつた折には同席しておらず、同日右の会合後、林から、住宅ニユースを買つて配るから承知してくれといわれたが、賛成できないと述べ、また、林の命をうけ住宅ニユースを注文した事務員の堀井に、「住宅ニユースがきたらぶつとばせ」と命じた位であるから、被告人古家を本件支部の頒布についての共謀共同正犯と認定した原判決には、採証法則違反による事実誤認がある旨の、(4) 被告人齋藤は、右の役員会の席上、住宅ニユースの購入頒布の話が出た折、購入頒布に積極的に反対することはしなかつたが、自分の選挙運動が忙しく配布には手が廻らないと発言し、暗に反対したものであるから、被告人齋藤を右支部の頒布についての共謀共同正犯と認定した原判決には、採証法則違反による事実誤認がある旨の各主張(同第二点第四の一及び三ノ二の1の(二))及び、(5) 原判決第一のうち、支部による頒布の部数について、事実誤認がある旨の主張(同第三の一一)について。
〔A〕 原審取調べの証人堀井新一、同加藤忠の各供述記載及び昭和四六年七月三〇日付加畑検察事務官作成の捜査報告書によれば、堀井が住宅ニユース五一号(二月一日号)購入方につき住宅ニユース社の加藤に電話で折衝し、一万部を注文したのが昭和四六年二月八日であること、押収にかかる経済日記(符号五四)中の二月九日欄に、被告人玉尾が、「住宅ニユース出まわる」と記載していることに照らせば、同年八月四日付金澤検察事務官作成の捜査報告書にある、麻布局から料金別納郵便として同年二月八日に住宅ニユース五一号二、九二二通が発送される以前に、住宅ニユース社から直接秋田市内の住人に住宅ニユース五一号が郵送されたものがあつたと推認されること、被告人齋藤の同年七月一四日付検察官に対する供述調書九項中に、二月上旬自民党秋田市支部での会議が「一段落したころ、高安英司が、住宅ニユース二月一日号を広げて見せながら、このような新聞が、直接私の家に送られて来た、非常にいいものを持つて来たから、これを見てくれと言い、順に皆に回覧しました」との記載、同一一項中に、その場で林副支部長が、事務職員の堀井に命じ住宅ニユース社に電話して、その新聞を大量に購入する折衝をさせた旨の記載のあること、住宅ニユースが支部に到着したのが二月一四日であること、押収にかかる被告人東海林の手帳(符号五五)中昭和四六年二月七日欄には「おぎわら後援会、河野洋平、安西愛子、大平正芳」との記載があるところ、被告人高安の同年七月二一日付検察官に対する供述調書中(四、七、八項)に、荻原候補の応援演説会があり、安西愛子等がきて演説をした日の翌日頃、「私の家に私宛で、住宅ニユース社と印刷された茶色の大封筒が郵送されて来た、開いてみると、住宅ニユース二月一日号が一部入つていた……その日だつたと思うが自民党秋田市支部で役員会が開かれたので、私はこの住宅ニユースを封筒ごと持つて出席した。……役員会で立候補者の激励をした後、私は持つて行つた住宅ニユースを出し、こんなに良いものが私の所へ郵送されて来たから見てくれと言つて回覧しました」との記載のあること、原審公判で被告人齋藤は、配付の郵送料のことを高安が話したのは二月一四、五日頃であると供述していることを綜合すれば、二月八日の役員会で被告人高安が、住宅ニユース五一号を回覧に供した旨の原認定は正当として肯認しうるのであり、当審取調べの角封筒に二月一六日着と記載されている一事により、それ以前の二月八日頃に住宅ニユース五一号が郵送されてきたという前記認定事実を否定することはできない。したがつて、原認定の二月八日の共謀に事実誤認がある旨の右(2) の所論は採用の限りではない。
〔B〕 右二月八日頃の支部役員会で住宅ニユース購入頒布が話合われた席に、被告人東海林がいて、回覧された住宅ニユースを見て、「これはいいものだ」とか「川口を叩くにいい材料だ」といつた趣旨の発言を被告人東海林がして、購入頒布に賛意を表した旨の原認定は、被告人高安の昭和四六年七月二二日付、被告人齋藤の七月一九日付、七月三一日付、被告人東海林の七月一七日付各検察官に対する供述調書、田口正男、渡辺兼治の各検察官に対する供述調書を綜合すれば、優にこれを肯認しうるのであり、所論指摘の押収にかかる被告人玉尾の経済日記二月八日欄の記載をもつては、被告人東海林が、住宅ニユース購入頒布の話合い前に、その席をはなれたとの被告人東海林の原審公判供述が裏付けられているとは到底認められない。したがつて、右(1) の所論も採用の限りではない。
〔C〕 原判決が措信したことにつき、条理又は経験則に反するかどがあるとは到底認められない被告人高安の昭和四六年七月二一日付検察官に対する供述調書中(九、一〇項)には、前記役員会で高安が回覧に供した住宅ニユースが、「一通り回覧し終つた頃、被告人齋藤が、これは大したもんだ、これを是非大量に注文したうえ、支部で配付したらいいんではないかと提案した」、「誰かが、これをバラまくのは齋藤さんと高安さんでやつてくれないかと言いました。すると斎藤君が、私は御承知のように今回の市議選に立候補するので、自分のことでとても忙しくつて、他人のことまで手がまわらないので、選挙に出ない林さんと高安さんにお願いできないか。事務局を使い、それを監督してくれれば良いのではないかと言つたのです」との記載があり、これに符合する供述記載が、被告人齋藤の昭和四六年七月一四日付、七月二四日付各検察官に対する供述調書中にあることに鑑みれば、被告人齋藤を、住宅ニユースを市支部で大量に購入し配付することの共謀共同正犯者と認定した原判決には、採証法則違背による事実誤認のかどはなく、右(4) の所論は採用の限りではない。
〔D〕 林次郎の昭和四六年七月二七日付、高安英司の同年七月二一日付、七月二二日付、齋藤一郎の同年七月一四日付、七月一九日付、七月二四日付、七月三〇日付、七月三一日付、池田秀四郎の同年七月一一日付、七月一二日付、七月三一日付各検察官に対する供述調書及びそれらを含む関係証拠上、措信した原審の措置が不合理とは認められない被告人古家の同年七月二九日付検察官に対する供述調書中の関係記載を綜合すると、被告人古家は、住宅ニユースの購入頒布を決めた自民党秋田市支部役員会で、本件住宅ニユースの購入頒布に賛同して、被告人齋藤、同高安、同東海林らと原判示の頒布を共謀し、その代金を荻原後援会に負担させることについても関与したことが認められる。そして、堀井新一の昭和四六年八月四日付、同年七月二九日付各検察官に対する供述調書によれば、市支部の購入した住宅ニユースの一部を廃棄したのは、昭和四六年三月中旬頃、週刊実話が出まわり、住宅ニユースの頒布の効用が殆どなくなつた時期においてであると認められ、住宅ニユースを東京から郵送すべく東京に送つた頃、被告人古家から市支部にあつた住宅ニユースを捨ててしまえといわれたので捨てた旨の原審証人堀井新一の尋問調書中の記載及び、住宅ニユースがきたらぶつとばせと堀井に命じた旨の被告人古家の原審公判における供述を措信しなかつた原審の措置が不合理なものとは認められない。したがつて、被告人古家を、市支部関係の頒布の共謀共同正犯者と認定した原判決には、事実誤認のかどはなく、右(3) の所論は採用の限りではない。
〔E〕 市支部関係の住宅ニユースの頒布部数を、原判決は約九、四〇〇部と認定しているところ、所論はこれを七、六〇〇部位と主張するのであるが、所論主張のとおりとしても、その差異は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認に当らないから、所論自体適法な控訴理由に当らないのみならず、頒布部数と、廃棄部数についての、堀井新一の原審の証人尋問調書中の記載、同人の昭和四六年七月二九日付及び同年八月四日付の各検察官に対する供述調書中の記載を対比検討してみても、右八月四日付検察官に対する供述調書中の記載を措信し、頒布部数を約九、四〇〇部と認定した原審の措置が不合理なものとは認められないから、右(5) の所論も採用の限りではない。
〔F〕 したがつて、右(1) 乃至(5) の論旨は、いずれも理由がない。
〔II〕 金澤控訴趣意のうち、刷新会による住宅ニユースの頒布につき、被告人細渕は、川口市長に四選を得させない目的をもつてしたものではないから、「川口に四選を得させない目的をもつて、住宅ニユースを頒布した」旨の原判示には、事実誤認があるとの主張(同第一)について。
所論に鑑み、原審記録及び原審取調べの関係証拠を検討してみると、市政を刷新する会(以下刷新会と略称)なる政治団体が成立するに至つた経緯は、所論主張のとおりのものであること、昭和四六年四月二五日施行の秋田市長選挙に際し、立候補した被告人荻原の確認団体ということで推進母体となつたのが告示の日であつて、選挙運動期間中は、荻原支持の運動を展開したものであること、被告人細渕が同年一月中旬頃同会の事務局長に就任したものであること、同被告人が住宅ニユース社の加藤忠に原判示の住宅ニユース二月一日号一万部の注文をしたのは、同年二月九日頃であること、同月一一日頃から東京都内の住宅ニユース社及び三春旅館において、被告人落合から借りた秋田市の選挙人名簿の写に基づき、当時刷新会にアルバイトに来ていた三浦重弘、佐々木二郎らに秋田市内の有権者に郵送するための宛名書き作業を行わせ、同月中旬から下旬にかけ、約九、五一四部を麻布郵便局から秋田市内の有権者らに郵送配付したことの各事実が認められる。そして、被告人細渕が右三浦、佐々木を連れ上京するに当り、その目的を秘したうえ他言しないよう口止めをしていたこと、被告人細渕は、右住宅ニユースの購入代金三五万円を加藤忠に支払う折、裏金として扱い住宅ニユース社の帳簿にのせないよう依頼し、受取つた領収書も上京中に廃棄していること、配付方法も、住宅ニユース社が自主的に郵送配付した形をとり、刷新会の名を表に出していないことなどに鑑みれば、所論主張のように、「川口市政を市民の批判にさらし、市政を刷新する目的」で住宅ニユースを郵送配付したものとは到底認められないのであり、被告人細渕の昭和四六年八月七日付及び同月一二日付各検察官に対する供述調書に記載のあるとおり、被告人細渕が住宅ニユース五一号を大量に買つて秋田市民に配付したのは、川口の四選を阻止し、荻原の当選を得させる目的でなされたものと認められ、右の各供述調書の記載に信用性がない旨の所論は採用の限りでなく、この点の原認定に、事実誤認のかどはないから、論旨は理由がない。
第四、被告人荻原、同池田を原判示第一の後援会及び市支部関係の頒布並びに同第二の頒布についての共謀共同正犯者と認定した原判決を論難する主張について。
野村・小林控訴趣意のうち、「原判示第一中、後援会及び市支部による各頒布並びに原判示第二の頒布につき、頒布に無関係な被告人池田、同荻原を共謀共同正犯者と認定している点において、原判決には、共謀共同正犯理論の解釈の誤りに基づく、事実誤認乃至は採証法則違背による事実誤認がある旨の主張(第二点、第三の九の1及び第四の三ノ二の1の(一)、(三)、同四乃至七)について。
〔A〕 所論に鑑み、まず、被告人池田の所論指摘の各検察官に対する供述調書の信用性を検討してみると、(イ)自民党秋田市支部が頒布のため注文した住宅ニユース五一号一万部の件について、その話が最初被告人古家により後援会事務所の被告人池田のところに、市支部の役員らと相談して決まつたからといつてもちこまれ、被告人池田としては、それは構わんが金の方はあなたの方でお願いする旨を話したこと、ついで、被告人齋藤から一万部を一部三〇円で注文したからよろしくとの電話があり、被告人池田が了解の返事をし、市支部の一万部の代金を後援会で負担することを承知し、二月中旬頃、被告人荻原の娘で後援会の会計を担当していた武藤精子に話して用意させ、三一万円を市支部の事務担当者堀井新一に二月末頃渡し、堀井から右代金は高田某の偽名で住宅ニユース社に送金した旨の記載が、被告人池田の昭和四六年七月一一日付、七月一二日付、七月二四日付(乙83)、八月三日付各検察官に対する供述調書中にあるが、右七月一一日付、七月一二日付各調書は、検察官が被告人古家、同齋藤及び堀井新一を取調べる以前のものであり、被告人池田の供述によりはじめて明らかにされた事実であり、後に作成された被告人古家、同齋藤、同高安及び堀井の供述調書の記載により裏付けられていること、(ロ)後援会により配付された住宅ニユース三、五〇〇部注文の件については、被告人池田の七月一一日付調書作成前のものとしては、被告人落合の七月二日付、七月五日付各検察官に対する供述調書に記載があるが、これらを対比してみると、池田調書には、住宅ニユースを被告人荻原に見せ、落合から後援会関係に配るのに三、五〇〇部とつたらどうだろうという話があつて、そうすることにしたが、市支部からも一万部欲しい話がある、どんなものでしようかと言うと、荻原が、後援会の三、五〇〇部でよいのではないか、一万部もいらんのではないかと言つた旨の、落合調書には全く記載のない事実の記載があり、しかも、この供述のなされたのは、被告人荻原の取調べ以前のことであること、(ハ)被告人池田が逮捕されたのは、昭和四六年七月七日であり、七月八日の取調べでは、住宅ニユースの後援会及び支部の頒布に無関係であると述べていたが、三日後の七月一一日には、住宅ニユースの後援会及び支部の頒布と週刊実話の頒布につき、被告人落合や、被告人古家、同齋藤との折衝につき具体的かつ詳細な供述をしていること、(ニ)被告人池田は原審公判において、右七月一一日の供述に至つた経緯につき、当時健康を害してもうろうとしており、事業のことも気になり、検事に迎合同調し、落合がこう述べていると押しつけられ検察官の調書が作られた旨述べているが、関係証拠によれば、被告人池田には高血圧の症状があつたが重篤なものではなく、事業についても気になることはあつたと認められるが、前述したように、被告人池田が、被告人落合や、同古家、同齋藤との折衝、被告人荻原との話合いについて具体的かつ詳細な供述を始めたのは、身柄を拘束されて四日目のことであり、その供述内容は、それ以前の落合調書にない事項にもわたり、更に、支部の頒布関係については、支部関係者の取調べ以前に右の供述がなされていることなどを綜合すると、被告人池田の右七月一一日付調書及びその内容の反覆、敷衍にわたるその後の日付の検察官に対する供述調書に信用性があるとして、これを証拠の標目にかかげている原判決には、採証法則違背のかどはない。
〔B〕 次に、被告人荻原の所論指摘の各検察官に対する供述調書の信用性を検討してみると、(イ)被告人荻原は身柄不拘束のまま昭和四六年七月二二日、二三日、二四日の三日間取調べられていること、(ロ)被告人荻原は、原審公判において、七月二二日の調書は、検事から被告人池田がこう言つていると言われ、記憶がないと言うと、検事が席をはずし、被告人池田に確かめてきたと言われ、また、被告人荻原の娘精子もそう言つていると言われ、市政を一日も遷延させることのできない立場におかれていたので、やむなく検事の言うことを認めた旨供述しているのであるが、右七月二二日付調書には、週刊実話の頒布の件についての被告人池田と同荻原との話合いについての供述記載があるところ、被告人池田の七月二四日付調書の末尾には、「週刊実話の関係については明日申し上げます」とあり、右の週刊実話の頒布についての話合いについては、同被告人の七月二六日付(乙85)供述調書になつて、はじめてその記載が現われていることに鑑みれば、被告人池田がこう言つていると検事に押しつけられ、やむなく検事の言うことを認めた旨の原審における供述は措信できないものであること、(ハ)武藤精子の検察官に対する供述調書は、昭和四六年七月二二日付のもの一通だけであるが、その中には、「投票日の前でしたが自宅で父に池田さんからお金が必要だと言われたので伊藤さんに話し、伊藤さんから貰つて池田さんにあげておきましたという趣旨のことを話したことはある。その時に住宅ニユースとか週刊実話の関係で金を渡したんだということまで話したかどうかよく思い出せない」旨の記載があり、被告人荻原の最初の検察官に対する供述調書である右同日付のものの中に、「二月下旬頃精子から住宅ニユースの代金は会社から持つて来た金から払つたと聞いた」、「三月下旬頃精子から週刊実話の代金は払つたと聞いた」旨の記載があるところ、両者を対比してみると、被告人荻原の調書は、武藤精子の調書の記載をこえて、住宅ニユース、週刊実話の代金支払いの資金関係について武藤調書にない事項について記載されていると認められるうえ、原審証人松田紀元の供述によれば、荻原調書の右の記載は荻原の口から出たものであり、精子を勾留する事実は何もないから、荻原が否認すれば精子を勾留するということを言うはずはないし、また、荻原を勾留して調べると言つていないというのであるから、右調書作成に当り、武藤精子がこう言つていると誘導されたとか、否認すれば精子を勾留するとか、被告人荻原を勾留して調べるとか言つて押しつけられたとかいう被告人荻原の弁解は措信できないものであること、(ニ)所論中には、被告人荻原の検察官に対する供述調書は、偽計によつて獲得された自白に当るもので証拠能力を欠く旨の主張があるが、被告人荻原を取調べた検察官である松田紀元の原審における証人尋問の結果に徴すると、当時被告人池田は東京拘置所に入つていたのであり、被告人荻原の調べは地検第二庁舎で行われたのであつて、荻原の調べの途中で池田に確かめるといつて席をはずし、池田は間違いないと言つているといつて荻原に自白を迫つた事はないというのであり、この供述を措信し、被告人荻原の原審公判におけるこれに反する弁解を措信しなかつた原審の措置が、他の関係証拠を勘案しても不合理とは認められないから、被告人荻原の検察官に対する供述調書が偽計により獲得された自白に当る旨の所論は前提を欠くものである。
したがつて、被告人荻原の各検察官に対する供述調書に証拠能力及び信用性があるとして、これを証拠の標目にかかげている原判決には、採証法則違反のかどはない。
〔C〕 所論は、後援会の住宅ニユースの頒布についての、被告人落合が同池田に頒布したいと申出で、同池田が同荻原に同様の申入れをし、右両被告人がこれを了承したから同落合と共謀した旨の原認定につき、購入頒布は落合がやつたのであり、池田、荻原はその頒布行為には全く関係がなく、実行行為に及んでいないものであり、池田、荻原が自らの行為として落合をしてこれをなさしめたとは認められないから、単に犯罪の認識があつたにすぎない被告人池田、同荻原を共犯者と認定することはできない旨主張しているのであるが、被告人落合、同池田、同荻原の原審公判における各供述を綜合すれば、自民党秋田県支部連合会(以下県連という)の事務員であつた被告人落合は、昭和四五年一二月下旬荻原後援会の事務所開きのあつた頃、被告人荻原の要請により、県連から荻原後援会に出向し、同後援会事務局長に就任した被告人池田を補佐していたこと、被告人池田は、同荻原が昭和三四年県議選挙に立候補したとき以来同人の選挙の都度その応援をし、とくに同三八年、同四二年の県議選挙に際しては、選挙事務所の事務長格として選挙運動の采配を揮い、本件市長選挙に際しては、荻原後援会の事務局長として、後援会よりの大口の選挙費用の支出につき指示する立場にあり、被告人荻原が設立し、代表取締役社長に就任していた協和石油株式会社の伊藤経理部長から、被告人荻原の負担において同社の金から必要な資金を支出してもらうことについては、被告人荻原も従来の選挙以来当然のこととして被告人池田にまかせていたこと、荻原後援会に対する寄付金などは、右伊藤が受入れて別途に保管し、被告人池田の指示により支出することになつていたことが認められ、また、被告人落合の昭和四六年七月二日付、七月五日付、七月一七日付、八月一一日付、及び被告人池田の同年七月一一日付、七月二四日付(乙83)、被告人荻原の同年七月二二日付、七月二三日付、七月二四日付各検察官に対する供述調書中の関係記載を綜合すれば、被告人落合は、同年二月初旬、荻原後援会事務所において、市内の不動産業者が持参した住宅ニユース五一号に掲載された川口市長についての記事を読み、原判決が虚偽と認定した(1) 乃至(5) の記事の真実性に強い疑問を抱いたが、右住宅ニユースを購入して秋田市内に頒布すれば、川口市長の社会的評価を落としその市長四選を阻止するのに効果があると考え、同月八日頃、被告人池田に、右住宅ニユース三、五〇〇部くらいを注文して配りたいと相談を持ちかけたこと、同池田は、後援会事務所で前記住宅ニユースの各記事を読んでその真実性に強い疑問を抱いたが荻原後援会事務所の責任者として、川口市長の社会的評価を落とし、その市長四選を阻止するためには、右住宅ニユースを購入して頒布した方がよいと考え、被告人落合の右申出を承諾し、購入、頒布を一任する旨答えたので、同落合が住宅ニユース社の加藤に電話し、被告人廣田に渡してある名簿に基づいて郵送してくれと依頼したこと、右購入代金は同年二月末頃、被告人池田の指示により、武藤精子が被告人荻原の負担において用立てた金の中から支払われたこと、更に、その頃、被告人池田は、被告人荻原が右後援会事務所に立寄つた際、前記住宅ニユース五一号を同人に見せ、被告人落合の申出により、三、五〇〇部位購入することを承認した旨話して諒解を求めたところ、同荻原は、右住宅ニユースの前記記事を読み、その真実性に強い疑問を抱くとともに、記事内容が全体として川口市長の人身攻撃にわたるものであつたためこれを秋田市民に大量に頒布することについては躊躇したが、同池田及び同落合が、荻原の当選のみを願つて住宅ニユースの頒布を画策した熱意を無視することもできないと考え、右住宅ニユース約三、五〇〇部を購入し秋田市内の後援会会員らに頒布することを承諾したこと、被告人池田が、同荻原に右の承諾を求めたのは、頒布する住宅ニユースの内容上、頒布することにより選挙に影響が及ぶこと及びかなりの金の支払いを伴うことになるので、被告人荻原の了解を得ておく必要があると考え、荻原のとりやめろとの指示があればこれに従うことを考えてのことであつたことの各事実が認められ、これら事実関係のもとにおいては、被告人池田、同荻原は、自らの行為として、被告人落合に購入頒布をなさしめたものと評価しうるのであり、被告人池田、同荻原は、単に被告人落合の犯罪を認識していたにとどまるものではないというべきであるから、右両被告人を、被告人落合のした頒布公表行為の共犯者と認定した原判決には、事実誤認のかどはない。
〔D〕 所論は市支部関係の住宅ニユースの頒布について、被告人池田は、同齋藤、同古家から購入資金を出してくれと頼まれて了承し、同荻原は池田にいわれ了承したから、被告人池田、同荻原は、同齋藤、同古家らと共謀した旨の原認定につき、購入頒布は市支部関係者がしたのであり、池田、荻原はその頒布行為には全く関係がないから、右両被告人を共犯者と認定した原判決には事実誤認がある旨主張しているのであるが、被告人齋藤の昭和四六年七月一四日付、七月二〇日付、七月三一日付、同古家の七月二九日付、同高安の七月二一日付、林次郎の七月二七日付、七月二九日付、被告人池田の七月一一日付、七月一二日付、七月二六日付(乙85)、七月三一日付、八月三日付、同荻原の七月二二日付、七月二三日付、七月二四日付、堀井新一の七月一八日付各検察官に対する供述調書中の各関係記載を綜合すると、昭和四六年二月八日頃、林次郎、被告人齋藤、同高安、同東海林、同古家らは、自民党秋田市支部として住宅ニユース五一号を購入して秋田市内の有権者らに頒布すること、購入資金については市支部に負担のかからないように林が善処することなどを話合い、被告人東海林、同齋藤、同古家及び同高安は、林らとともに、川口に関して真実性の疑わしい事項を掲載した右住宅ニユースを、その内容が虚偽であつても、あえて選挙のために頒布することを意思相通じて共謀し、同日堀井に命じて住宅ニユース一万部を注文させたこと、被告人齋藤は、同月九日頃林及び被告人古家から右一万部の購入資金を荻原後援会から支出するよう被告人池田に頼んでほしい旨依頼されたため、池田にその旨を伝えたが確約は与えられなかつたこと、池田は、その頃、後援会事務所において、被告人荻原に住宅ニユース三、五〇〇部頒布の件を話したついでに、市支部でも一万部を購入して頒布したい意向であることを伝え相談したところ、被告人荻原は、一旦は右三、五〇〇部の頒布で十分であり、市支部の一万部については一応その必要がないものとして反対したが、更に、被告人古家からも同趣旨の依頼があつた後、その日か翌日頃被告人齋藤からも再び同様の依頼があつたため、被告人池田は、市支部の者らが、住宅ニユース一万部を購入頒布することを決めたのは、ひとえに市長選挙を荻原に有利に展開させようという気持から出たことであるので、荻原後援会としては、結局右一万部の購入資金を負担しなければならないものと考え、被告人齋藤に対し、前記依頼を承諾する旨伝えたこと、被告人池田は、その二、三日後、後援会事務所において、被告人荻原に対し、住宅ニユース一万部の購入資金を後援会で負担してほしいとの市支部からの依頼を承諾した旨話して同人の諒解を求めたところ、同荻原は、同池田をはじめ市支部の同古家らが、ひとえに自己の当選を願つて取り決めて来たことを考え、右池田の申出に諒解を与えたこと、右購入代金は、同年二月中旬頃、被告人池田の指示により、武藤精子が被告人荻原の負担において用立てた金の中から支払われたこと、被告人池田が同荻原に右の承諾を求めたのは、頒布する住宅ニユースの内容上頒布することにより選挙に影響が及ぶこと、及びかなりの金の支払いを伴うことになるので被告人荻原の了解を得ておく必要があると考え、荻原が配ることをやめろと言うのであればこれに従うことを考えてのことであつたことの各事実が認められ、これら事実関係のもとにおいては、被告人池田、同荻原は、自らの行為として、市支部関係者に住宅ニユースの頒布をなさしめたものと評価しうるのであり、単に購入資金を出してくれと頼まれて了承したものにとどまるものではないから、右両被告人を、市支部関係者のした頒布公表行為の共犯者と認定した原判決に、事実誤認のかどはない。
〔E〕 所論は週刊実話の頒布につき、頒布行為は被告人落合がしたもので、被告人池田は同落合から購入頒布したいがどうかと言われ、同荻原は同池田からどうかと言われ承諾したものにすぎないのであり、被告人落合の犯行を諒承したというだけのものであるから、右両名を共謀共同正犯者と認定した原判決には、事実誤認があると主張しているのであるが、被告人落合の昭和四六年七月二日付、七月五日付、七月一八日付、八月一日付、同池田の七月一一日付、七月二六日付(乙85)、八月三日付、同荻原の七月二二日付、七月二三日付、七月二四日付各検察官に対する供述調書中の関係記載を綜合すれば、被告人池田は、昭和四六年三月初旬、荻原後援会事務所において、被告人落合から、週刊実話の記者が川口市長の女性関係の話の取材に来たので被告人草階、同東海林及び同玉尾らと川口の女性関係等を話したこと、及び右記者を案内して女の所をまわつたこと等を聞いていたが、更に、その頃被告人落合から週刊実話五、〇〇〇部を注文して配りたい旨の相談を受けた際、同落合らが住宅ニユースのときと同様に、川口に関して真実性の疑わしい女性関係の噂話等を掲載した右週刊実話を川口四選阻止のために頒布する意図であることを知り、これに賛同し、被告人落合に注文部数はまかせると言つたこと、同落合の注文した週刊実話が一長堂に入荷する前に、同年三月一〇日頃、被告人池田は週刊実話三月二二日号を見て、配つたら逆に荻原が反感を買うのではないかと心配し、大金の支払いを伴うことでもあつたので被告人荻原に週刊実話の件についても了承をえることとしたこと、被告人落合が注文した週刊実話が一長堂に入荷したのは、同年三月一四日頃であるが、これに先立ち被告人荻原は、三月中旬頃、荻原後援会事務所に立ち寄つた際、同所にあつた週刊実話三月二二日号に掲載された前記記事を読み、右記事が川口に関する真実性の極めて疑わしい女性関係の噂話等を記載したものであることを知つたが、その際、既に被告人落合が右週刊実話五、〇〇〇部を頒布のため注文したことを被告人池田から聞き、更に同人から右頒布の承諾を求められたこと、その際、被告人荻原は、同池田及び同落合らが住宅ニユースの際と同様に右週刊実話を既に注文し、川口市長四選阻止のために頒布しようとしていることを知つたが、荻原のためを思つてのことであるという被告人落合らの気持を無視するわけにもいかず、しようがないなあと言つて承諾を与えたこと、右の購入代金五〇万円は、同年三月下旬被告人池田の指示により荻原後援会の預金から支払われたこと、被告人池田は、荻原から絶対にやめろと強く言われれば落合に配ることを取りやめさせようと考えていたことの各事実を認めることができるのであり、これら事実関係のもとにおいては、被告人池田、同荻原は、被告人落合の犯行を諒承したというだけのものではなく、自らの犯罪として、被告人落合のする頒布公表行為に賛同関与したものと評価しうるのであるから、右両被告人を右頒布公表行為の共同正犯者と認定した原判決には事実誤認のかどはない。
〔F〕 所論は、原判決が、後援会関係及び市支部関係の住宅ニユース頒布について、
「市長選挙に立候補する川口大助の評判を落として同人に当選を得させない目的をもつて、被告人廣田および同落合がさらに被告人廣田、同玉尾、同東海林および同草階が、川口に関して虚偽の事実を掲載した住宅ニユース第五一号(昭和四六年二月一日付)を公表頒布することを共謀し、そしてこれに引続き、
一、後援会関係の頒布につき、被告人池田が同落合を介して右共謀に加わり、被告人荻原が同池田および同落合を順次介して右共謀に加わり、もつて被告人廣田、同玉尾、同東海林、同草階、同落合、同池田および同荻原は、右住宅ニユースを公表頒布することを順次共謀し、
二、自民党秋田市支部関係の頒布につき、被告人齋藤、同古家および同高安が同東海林を介して右共謀に加わり、被告人池田が同齋藤、同古家および同東海林を順次介して右共謀に加わり、被告人荻原が同池田、同齋藤、同古家および同東海林を順次介して右共謀に加わり、もつて被告人廣田、同玉尾、同東海林、同草階、同落合、同池田、同齋藤、同古家、同高安および同荻原は、右住宅ニユースを公表頒布することを順次共謀し」
と判示している点について、前者につき「右虚偽性の共通認識の下に、落合、池田、荻原が共謀があつたとすることは、それが、廣田、草階、玉尾、東海林らと結びつくものではない。また、原判決は落合は(5) の新屋厚生会の件についてのみ廣田と共謀があつたとするのですから、もしそれ池田、荻原を落合を介して共謀に加わつたとするにおいては、それ丈に限られるべきものである。玉尾、東海林、草階との共謀は、順次共謀理論を拡張してもこれを認むべきでない」と主張し、後者につき、「齋藤、古家、高安、東海林らが購入頒布したとするも、被告人池田、同荻原は、落合、玉尾、東海林いわんや廣田とは何らのかかわりを持つものではない。それなのに被告人池田、同荻原がそれらの被告人らとの共謀関係にたつと認定できるかむしろ不思議という外はない。」といい、また、週刊実話の頒布について、「川口大助の評判を落として同人に当選を得させない目的をもつて、被告人荒谷、同玉尾、同東海林、同草階および同落合が、(1) 連絡船上の件、(2) 松岡の件、(3) 山田の件、(4) 奥田の件、(5) B子の件および(6) K組の件についていずれも虚偽の事実を掲載した週刊実話昭和四六年三月二二日号を公表頒布することを共謀し、被告人伊藤および同山中がいずれも被告人荒谷を介して右共謀に加わり、被告人佐藤が被告人荒谷および同落合を介して右共謀に加わり、被告人池田が被告人落合を介して右共謀に加わり、さらに被告人荻原が被告人池田および同落合を順次介して右共謀に加わり、もつて右被告人らは右週刊実話を公表頒布することを順次共謀し」と認定している点につき、「被告人池田、同荻原が、伊藤、佐藤、玉尾、東海林、草階そして山中、荒谷と共犯関係にたつとはあまりに飛躍的認定である」とし、これら認定には、共謀共同正犯理論の解釈の誤りに基づく事実誤認があると主張している。
先述したように、順次共謀による多数人の共同正犯の場合、その全員につき相互に直接犯意の連絡がなされること、及び全員が他の共犯者がなにびとであるかを了知していることは必要ではないのであり、その一部の者の間に意思の連絡があつて、これを通じて、順次間接的に他の者に意思の連絡があつて全員に及び、犯行がなされたものと評価しうるときには、全員が共同して各自の犯意を実現したものとして共同正犯の責任を負うものであるから、住宅ニユースの、後援会関係の頒布について、草階、玉尾、東海林、廣田と共謀した落合を介し、池田、荻原が共謀に加わつたとして、池田、荻原を、草階、玉尾、東海林、廣田とも共同正犯の関係にたつとした原判決の認定、市支部関係の頒布について、東海林を介して、玉尾、草階、落合、廣田と、齋藤、古家、高安らとの間に共謀が成立し、齋藤、古家を介して池田、荻原が共謀に加わつたとして、池田、荻原を、草階、玉尾、落合、廣田、東海林らとも共同正犯の関係にたつとした原判決の認定、週刊実話の頒布について、草階、東海林、玉尾、落合、佐藤、伊藤、荒谷、山中の間に共謀が成立し、落合を介して池田、荻原が共謀に加わつたとして、池田、荻原を草階、東海林、玉尾、佐藤、伊藤、荒谷、山中とも共同正犯の関係にたつとした原判決の認定には、いずれも共謀共同正犯理論の誤りはなく、したがつて右の誤りに基づく事実誤認のかどもないのであるから、この点の論旨はいずれも理由がない。当然のことながら、被告人池田、同荻原は、川口に関する住宅ニユースの記事及び週刊実話の記事につき、他の共犯者と同様各自が虚偽性を認識した事項の限度において、名誉毀損の罪及び公選法二三五条二項の罪の責任を負うものであるから、後援会関係の頒布について、被告人落合が被告人廣田に提供した新屋厚生会の件の限度に、被告人池田、同荻原と被告人落合との間の共謀の内容を限るべきものという所論は、採用の限りではない。
〔G〕 したがつて、論旨はすべて理由がない。
第五、被告人廣田、同荒谷、同山中について、公選法二三五条二項に問擬した原判決に、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りがある旨の主張について。
松本控訴趣意のうち、原判示第一の公選法違反の点につき、被告人廣田は、川口大助の当選を得させない目的を有しなかつたものであるから、被告人廣田を公選法二三五条二項に問擬した原判決には、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りがあるとの主張(同第四点及び控訴趣意補充書)、並びに、吉田・内田控訴趣意及び内田控訴趣意のうち、原判示第二の公選法違反の点につき、被告人荒谷、同山中は、川口大助の当選を得させない目的を有しなかつたものであるから、右両名を公選法二三五条二項に問擬した原判決には、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りがあるとの主張(吉田・内田控訴趣意一、内田控訴趣意第一点の第四及び第五の二)について。
〔A〕 公選法一条は、選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明かつ適正に行われることを確保することをその目的の一つとして掲げている。同法二三五条二項は、右の目的に鑑みると、同項所定の虚偽の事項が公にされると、それが選挙人の公正な判断を誤らせる因となり、選挙の自由公正を害するところが大であるので、かかる行為を処罰の対象とするにあることが明らかである。同項の構成要件に「当選を得させない目的をもつて」としている点について考察するに、公選の候補者又は公職の候補者となろうとする者に関して、虚偽の事項を公にするという行為は、客観的に選挙の自由公正を害する結果を招来するが故に違法と評価されるのであるが、このように違法と評価される結果を招来する行為に出た者について、どの範囲で主観的にも違法であると判断すべきかの基準として、法は「当選を得させない目的をもつて」その行為に出たことを要すると定めたものと解せられる。したがつて同項にいう「目的」は、刑法六五条にいう「身分」には該当しないものであると解せられるから、共犯者において、正犯が同項所定の目的で虚偽事項を公表することを了知認識して、虚偽事項の公表行為に加功するのであれば、行為加功者たる共犯者自身に固有のものとして、「当選を得させない目的」が存在しなくとも、同人を、当選を得しめない目的をもつて虚偽事項を公表した罪の共犯者と認定するを阻げないものと解せられる(通貨偽造罪、文書偽造罪、有価証券偽造罪などにいう「行使の目的」を、自己行使の目的に限らず、自己行使の目的は存在しないが正犯者が行使する目的の存在を了知認識しながら偽造行使に加功した者を偽造罪の共同正犯者としている、最高裁・昭和三四年六月三〇日三小判決、刑集一三巻六号九八五頁、大審院・大正五年一二月二一日判決、刑録二二巻一九二五頁、大正一五年一二月二三日判決、刑集五巻五八四頁、大正九年一〇月二八日判決、刑録二六巻七九三頁、東京高裁・昭和二八年一二月・二五日判決、高刑特報三九号二三八頁も同旨のものと解せられる。本件のような「目的」の概念については、「一身的な性質又は関係」と対比される「行為に関する違法要素」に属するものであり、「構成要件的結果に向けられた故意」乃至は「行為の違法を修飾する構成要件的結果の主観的反映」と解せられる。Shonke-Schroder, Strafgesetzbuch. Kommentar, 16. Aul.,1972.,S.415 参照。)。
〔B〕 原判決は、被告人廣田を、公選法二三五条二項の罪の共犯者と認定しているのであるところ、被告人廣田の昭和四六年七月九日付検察官に対する供述調書二項、七項には、「市長選挙の直前の時期であつたことから提供をうけた材料の内容は右選挙で川口を批判し叩く材料ばかりで結局材料提供者らの選挙運動に捲き込まれるかたちになつてしまつたのです、ですから草階らから提供をうけた材料をそのまま記事にすれば新聞を発行した際にその新聞が同人らに選挙のため利用されることは判り切つたことでした」、「この記事を新聞にすれば保守派の方で市長選挙に利用することは当時の時期的な問題から判り切つた事でしたが、その事を承知の上で記事にしてしまつたのです」との記載がある。そして、被告人廣田が、川口大助に関する虚偽の事実を内容とする住宅ニユース五一号の当該記事を作成した際、同被告人固有のものとして、川口に当選を得させない目的を有したと認定しうるにたりる証拠は存しないが、同被告人が右記事作成の際、その記事を掲載した新聞が、秋田市の自民党関係者により、川口に当選を得させない目的をもつて、頒布公表されることを了知、認識していたと前掲引用の証拠により認定しうるから、原判示の後援会、市支部及び刷新会関係の頒布につき、同被告人を、公選法二三五条二項の罪の共同正犯者と認定した原判決には、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りのかどはなく、論旨は理由がない。なお、松本控訴趣意補充書中には、目的の認識は、未必的認識ではたりず、確定的認識があることを要する旨の主張があるが、関係証拠を検討すると、被告人廣田においては、同人作成の前記記事を掲載した住宅ニユース五一号が、秋田市の自民党関係者により、川口に当選を得させない目的で頒布公表されることについて、確定的認識を有したものと認められるから、同被告人を公選法二三五条二項の罪の共同正犯者と認定した原判決には、この点の法令解釈の誤り乃至事実誤認のかどはなく、この点の論旨も理由がない。
〔C〕 原判決は、被告人荒谷、同山中を、公選法二三五条二項の罪の共犯者と認定しているのであるところ、被告人荒谷の昭和四六年六月二一日付検察官に対する供述調書七項には、「記事が出れば自民党秋田県連においてこれを市長選挙に利用し川口市長を落す為に使われる事は判つており乍らスクープなので記事にして出してしまつたのです」、同年六月二四日付供述調書七項、九項には、「私自身も川口市長に対し反感を抱いておりましたからもし本誌で川口市長の女性問題を掲載すればこれを反川口派の連中が選挙戦に利用し川口四選を阻止する為に使うであろう事は推測出来ましたが、正義感から市長の女性問題に関する記事を書きましようと話したのです」、在秋中に「佐藤さんは『自民党の秋田県連で、(川口市長の女性問題に関する記事の載つた週刊実話を)買うという話が出ているのです』と教えてくれたのです」との供述記載があり、また、被告人山中の昭和四六年六月二四日付検察官に対する供述調書二項には、「秋田の自民党といえば、社会党所属の川口市長とは対立する反対の立場にあるわけであり、その自民党関係の人が川口市長の女性関係の記事が掲載されている本を五千部も買つてくれるというのですから自分で読むはずはありませんから間もなく始まる秋田市長選挙に利用するために買つてくれるのだなと思いました」、「端的に申しますと川口市長と対立する秋田の自民党関係の人が市長選挙には川口市長に票が集まらないように利用するためではないかと私は思いました」、同年六月二九日付供述調書四項には、「その原稿を見た時、荒谷の取材先が自民党関係者である事は推測出来ていたのでそれら取材先関係者が今度の市長選挙には川口氏を落し自民党関係候補を当選させる為にありもしない川口市長に関する女性問題をさも事実あつたように荒谷に話したものだなと思つたのですが、既に表紙のネームにも取り入れてしまつていましたし代りのトツプを飾る原稿を集めると言つても時間がなかつたので思い切つてこれを掲載する事にしたのです」との記載がある。そして、被告人荒谷、同山中が、川口大助に関する虚偽の事実を内容とする週刊実話の当該記事の作成に関与した際、右両被告人に、各固有のものとして、川口に当選を得させない目的を有したと認定しうるにたりる証拠はないが、右両被告人が、右記事作成に関与した際、その記事を掲載する週刊実話が、秋田市の自民党関係者により、川口に当選を得させない目的をもつて頒布公表されることを了知、認識していたと前掲引用の証拠により認定しうるから、原判示の週刊実話の頒布につき、右被告人両名を公選法二三五条二項の罪の共同正犯者と認定した原判決には、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りのかどはなく、論旨は理由がない。なお、所論中には、被告人山中が右の記事を掲載公表したのは、革新市長川口の姿勢の是非について全国読者の意向を問うという高次の目的からであり、同被告人には、川口大助の当選を得させない目的は存在していなかつた旨の主張がある。同被告人自身の固有のものとして、川口を当選させない目的があつたものではないが、記事内容をなす川口の女性関係の事項の相当部分について、被告人山中に虚偽性の認識があつたものであると認められる以上、右にいう高次の目的を同被告人が有したものとみる余地はなく、当然のことながら、同人の所為が正当行為に当ると評価する余地もない。したがつて、原判決には、この点についても、事実誤認乃至法令解釈適用の誤りのかどはなく、この点の論旨も理由がない。
第六、住宅ニユースの原判示の記事の虚偽性とその認識についての原認定を論難する主張について。
(一) 記事の虚偽性について。
〔1〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の一乃至四並びに金澤控訴趣意第二の一及び二の1について
所論の骨子は、原判示「地裁跡地払い下げの件」の虚偽性につき、被告人廣田が「独断決定」「強行採決」と記載したのは、廣田が正当妥当な意見乃至評論を記載したものであり、公選法二三五条二項にいう「虚偽の事項」にも、また、刑法二三〇条にいう「事実の摘示」にも当らないと主張し、仮に、右の記載が事実を摘示したとしても、右の件の記事全体からみて重要な部分は真実であるから、一部多少真実に合致しない部分があるとしても前記両条項に該当しないというにある。
そこで、所論住宅ニユース(東京高裁昭和五〇年押第七〇七号の二)をみると、その第一面の上部に大活字の横書きで「市有地払い下げ強行採決」と見出し(付帯横見出し)を付し、本文の冒頭には、「24倍の土地と等価交換」と題し、本文には、「昭和四十四年三月三十一日、川口秋田市長は、県にはかつて、県所有の旧裁判所跡地を、所有地である堀川地区、向浜地区と等価交換することを取り決めた。ところが、これはまつたくの川口社会党市長の独断で決定されている。」と記載し、ついで四月九日に県と等価交換した裁判所跡地払い下げの件を議題として召集された臨時市議会につき、「もちろん、議会で決議通過したことはいうまでもない。ちなみに秋田市議会の各党の勢力分野は、社会党、十二議員、自民党、六議員、民社党、二議員、共産党、二議員、公明党、一議員、無所属、十六議員と、なつているところから判断しても、議会の決議が容易であつたろうことは、うなづけよう。」と記載し、ついで、「払い下げ先は、川口市長が社長に就任している秋田ビルとなれば、市民が不審の目を向けるのも当然のことといえよう。」と記載し、次には、或る市会議員が、このような川口市長のやり方を嘆いていることを紹介したうえで、「それでも川口市長は『秋田ビルの建物は、市内の多くの中小企業者に対し、売場を安く提供し、業者育成の意味もある』と強引に議会の議決をはかつたという。」と中段を結んでいる。
関係証拠を検討してみると、右等価交換に関する事項を川口市長が独断で決定したものでないと認められることは原判示(六二丁)のとおりであり、また、地裁跡地を秋田ビル株式会社に払い下げる案件につき、強引に議決をはかつた乃至は強行採決した事実のないことも原判示(六三丁)のとおりであるから、右の記事のうち、「独断で決定された」旨の記載部分及び「強行採決」乃至「強引に議決をはかつた」旨の記載部分に限つては、いずれも虚偽の事実を記載したものであるとの原認定に事実誤認のかどはない。
更に関係証拠によれば、「被告人廣田は地裁跡地払い下げの問題について、記事材料提供者らの説明に従つて大筋において真実の記事を作成したものの、その筆のおもむくまま右記事材料提供者らが川口市政全般に対して抱いていた独断的との評価に基づき、前掲各具体的な事実に関して独断決定ないし強行採決の説明を受けたかのように歪曲して本件各記事を作成したものと認められる。」との原判示部分は、優に肯認しうるところである。そして、以上の「独断決定」及び「強行採決」の記事部分は、その用語の意味からも、また住宅ニユースの記事の文脈や記事中での扱い方などからみても、いずれも具体的事実の記載と解せられ、意見、判断乃至評論の記載にとどまるものとは到底解されないから、それが意見、判断乃至評論の記載に当るとの見解を前提とし、いわゆるフエアーコメントルールに依拠して虚偽の事項の記載に当らないとする論旨は、採用の限りではない。また、地裁跡地払い下げの件についての見出しの記載を含む右の一連の記事全体を通読すれば、川口市長により「独断決定」がなされ「強行採決」がなされたとの摘示事実部分が、その記事の重要な部分の一部であることは疑いの余地のないところであるから、告訴状の告訴事実中にこの点の記載がないからといつて、右の虚偽の事項の記載部分が枝葉末節部分であるとの主張も独自の見解で、採用の限りではない。
〔2〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の五及び金澤控訴趣意第二の2について
原判示「一七社の件」について、野村・小林所論は、川口市長が社長に就任したのは三社(記事外を加えれば四社)、関係会社として特別の関係があるとか、社長と懇親の関係のあるものを含めて九社があるので、表現に多少の誤りはあるものの、大筋において真実であると主張し、金澤所論は、原判決が社長に就任したと認めた三社(記事外を加えれば四社)、取締役、監査役に就任したと認めたもの三社のほか、実権を握つたとするもの、何らかの面で援助、助言乃至は便宜を与えたとするものがその余の一一社であるので、本件記事は真実を指摘したものと認められるから、虚偽の事実を記載したものと認めた原判断は、証拠の取捨選択を誤つた結果、事実を誤認したものというのである。
そこで、住宅ニユース(前押号)をみるに、その一面の上段の川口市長の写真を挾んだ大文字横七行の中程に、「市長職のかたわら民間一七社の社長・重役として君臨、『重機関車』のごときらつ腕をふるつている。」と、紙面の中央の点線の枠内に記事中横見出しで「市長、一七社の社長・重役兼務」と掲げ、本文には、「別表のように、川口市長個人が社長に就任している会社は、秋田ステーシヨンデパートをはじめ、五社におよんでいる。この他重役相談役として関係している会社は十二社にものぼつている。」と記載し、別表として直径約一〇糎の円内に、肩書を社長として五会社、重役として七会社、相談役として二会社、顧問として三会社の各社名を列記している。そして通観すると、川口市長の会社に対する関係度を現わすものとしては、社長、重役、相談役、顧問の職名に限られている。所論の引用する証人柴田作五郎、同信太勝、同川口大助の各証言によつても、右記事記載の一七社のうち、原判決の認定した秋田ビル株式会社、秋田ステーシヨンデパート株式会社及び株式会社栄町鉄道小荷物扱所の三社で社長に就任し、秋田テレビ株式会社、大平山観光開発株式会社、株式会社秋田放送の三社で監査役又は取締役に就任した以外に、前記のような役職に就いた会社のあることを認めるに足りる証拠は見当らないから、その余の一一社の記載部分が虚偽の記載に当るものであり、川口市長が社長に就任している会社は五社、その他重役、相談役として関係している会社は一二社にのぼる旨の記事は、事実を歪曲した虚偽の記事に当るから、その旨の原認定には、採証法則違背による事実誤認のかどはなく、したがつてその表現に多少の誤りがあるにすぎないとか大筋において真実であるとか、本件記事は真実の事実を指摘したものであるとかいう所論に左袒することはできない。
〔3〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の六及び金澤控訴趣意第二の二の3について
所論は、いずれも、川口がその経歴に徴し分不相応に多額の蓄財をなしたことは真実であつて、一三億円という数字はこのことを比喩的に表現したのにすぎないから、記事の本質的部分は虚偽の事実を摘示したものではないと主張する。
そこで、住宅ニユース(前押号)をみると、その第一面の大文字横七行の中程に、「市長は国鉄出身の社会党員だ。すでに三選、その間貯めも貯めたり資産一三億円……」と、紙面の略中央に記事中継見出しで、「一代で一三億円築く」と掲げ、本文には、「山形相互銀行秋田支店の或る行員は、『市長の資産は、十三億円くらいある。それも、これも、市長という権力の座にあつた賜ですよ』とはつきり語つている。」という記事が存在する。
しかして、関係証拠に徴すれば、「昭和四六年当時における川口の資産は、動産約三、〇〇〇万円のほか、不動産として秋田市内の通称寺内高野所在山林約一、二〇〇坪、同通称新屋割山所在の山林約六〇〇坪、同字寺内児桜所在の山林約七五〇坪、同所在墓地八四坪および秋田市新屋町字下川原所在の保安林約六五四坪があつた程度でしかも右寺内高野の山林約一、二〇〇坪は、川口が市長就任前に所有していた秋田駅前の建坪約六〇〇坪の建物を約三〇〇万円で処分して得た金で購入したもので、その後昭和四八年九月ころこれを売却しているが、そのときにおける売却価格ですら約二、五〇〇万円にすぎず、従つて、昭和四六年当時、川口の所有資産の額は多くとも一億円程度であつたと認められる。」と判示する原判断は、これを肯認することができる。仮に、所論指摘の秋田の飯島地区(証人小倉啓司の証言)、旧桜地内(同柴田作五郎の証言)に土地を所有していたとするも、それが、億を以て算する価額の土地で本件記事の一三億に迫る額にのぼる土地であることを推認させる証拠は見当らない。他人の財産を的確に知ることはなにびとにとつても困難であることは所論の自認するところでもあり、巷間、地方銀行の行員が一三億くらいあると洩らしたからといつて、それを以て川口の資産が一三億円あることの証拠となす由もない。叙上引用の一三億円に関する三個の記事のうちの前二個の記事が、前叙の体裁で明確に「一三億円」と表現しているところによれば、正に一三億円の数値そのものに本質があるのであつて、これを比喩的表現にすぎないとすることは、社会通念上到底首肯しえない。原判断が、川口の資産が一三億円くらいあるとの記事について虚偽の事実の記載であることが明らかであるとしたのは正当である。
〔4〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の七及び金澤控訴趣意第二の二の4について
住宅ニユース(前押号)の第一面下段から三段目の「市保有地が市長名義」という小見出しに続いて、「また、或る革新系市会議員は『市長は、かつて同志だつたが現在の市長のやり方を見ていると感心できない面が多い。いい例が秋田市山王町三の四-十二にある秋田自由民主会館の隣接地がそうだ。あの土地は簿価一千五百万~二千万はするところで、確か先の区画整理で、市の保有地となつていたところ。それがいつの間にか川口大助市長の個人名義になつているんだ』ともいう。」とある。そして、右記事にある土地区画整理により市の保留地となつた土地で、川口市長の個人名義になつた土地は皆無である旨の原認定は証拠上肯認しうるから、右の記事自体が虚偽の事実を記載したものであることは明白である。しかし、所論は、まず、「佐藤イヱが川尻町字寺後八六の田二九二坪を買受けたことになつており、それが一時市の保留地となつた自民堂会館の隣地三四ブロツク二ロツトに仮換地指定され、それが転々と換地されたことは、川口と佐藤が特殊の関係があつたことに本質的な問題があり、」(野村・小林趣意書一〇一頁末行以下)、「本件住宅ニユースの記事もその真意乃至は主要部分は、登記名義よりも市の保留地がいつの間にか実質的に川口大助の個人所有になつていたことを問題としているものである。」(同趣意書一〇二頁末行以下)と前提し、右実質的所有関係上虚偽の事項に当らないことの理由として、更に所論は、(い)佐藤イヱが秋田市川尻町字寺後八六番地田二九二坪を昭和三九年二月九日、所有者三浦惣一から買受けたが、その過程では、川口が同市建設部都市計画課用地係の丹生正秋に公共用土地を入手するように命じ、丹生と三浦との間では、仮登記寸前までそのようにして話が運ばれたこと、(ろ)同四一年三月三〇日、右土地が同市区画整理事業の実施により、山王地区三四ブロツク二ロツト(宅地七五五平方米)に仮換地指導を受けたこと、(は)後に、隣接の警察共済組合所有地である同三ロツトとの間に同組合の要望により交換分合がなされた際、川口が、佐藤イヱの所有土地につき処分権限ある者として、同組合との折衝に当つたこと、(に)同四二年七月一八日に、同女所有の仮換地土地が同四二ブロツク三ロツトに(宅地七五五平方米)に仮換地指定変更されたが、右は、同女の苦情に基づき川口が同市区画整理課長菅原定雄に指示してなされたものであり、右変更された宅地は、一等地に位し、変更前のものに比べ、地価が比較にならぬ程高価であること、(ほ)同年一〇月九日に、右変更された仮換地の隣接地である同ブロツクは四ロツト(市の保留地、二三五平方米)が、時価より著しく廉価で同女に払い下げられていること、(へ)佐藤イヱ名義で支払われた前記(い)の三浦所有の土地の買入資金三〇〇万円及び前記(ほ)の保留地の購入資金二一三万六、一五〇円について、その出所不明の部分が大きいことなどの一連の事実があり、前記(い)の三浦所有の土地の買受けに際して川口の執つた欺瞞的措置、前記(は)の交換分合の際の川口の挙措態度、前記(に)の仮換地指定変更と前記(ほ)の保留地払い下げとに見られる川口の地位乃至職権利用による佐藤イヱに対する莫大な利益供与、前記(へ)の資金出所不明などの諸点を併せ考えると、本件佐藤イヱ名義の土地は、川口がその出資者であり、右土地の実質上の所有者は川口であることが推認されるから、本件保留地に関する記事は、虚偽の事実の摘示に当らないというのである。
佐藤イヱが、右四二ブロツク三ロツト及び同四ロツトの土地を取得するに至つた経緯につき、関係証拠に照らせば、同女がアパート用の土地を探していると聞いた川口市長が、秋田市建設部用地係として不動産取引に詳しい丹生正秋に適当な土地を探すよう頼み、佐藤は同人の尽力で、秋田市川尻町字寺後八六番地田二九二坪を所有者三浦惣一から代金三〇〇万円で譲り受けたこと、その後右土地が自民党会館の隣接地で市の保留地ではなかつた三四ブロツク二ロツトに仮換地の指定を受けたが、これに隣接する同三ロツトに仮換地の指定を受けた警察共済組合からの陳情により、川口市長は、区画整理についてできるだけ関係者に不満のでないよう処理するとの平素の方針に則り、所管の区画整理課長に命じて佐藤と交渉させ、同女の承諾を得て右二ロツトと三ロツトについて横割に変更する交換分合手続をとつたこと、その後しばらくして佐藤が区画整理課長や川口市長に同土地の立地条件につき苦情を申出たことから、川口は区画整理課長に指示して適当な換地を探させた結果、四二ブロツク三ロツトの土地を佐藤に見分させ、その諒解が得られたので、前記三四ブロツク二ロツトを右四二ブロツク三ロツトに仮換地変更をしたものであるが、右四二ブロツク三ロツトも市の保留地になつていたものではなかつたこと、その後、同女の希望により所定の手続をとつて右四二ブロツク三ロツトに隣接する保留地であつた同四ロツトを相当価格で同女に売渡したことの各事実を認めることができる。そして、所論のうち、前掲(は)、(に)、(ほ)については、社会通念上市長の地位にある者として常軌を逸した便宜乃至利益供与とみられ、また、(い)、(ほ)の各土地の購入資金中の一部の出所について、原審における佐藤イヱの証言の内容に一貫性を欠くものがある点を考慮に容れても、右資金の大部分が川口より出ていると推認することはできず、ひいては、本件土地がすべて、名義人は佐藤イヱとなつていても、その実質は川口個人の所有に帰着するものと認めさせるに足りるものでないとの原認定は容認しうるところであるから、「市の保留地がいつの間にか川口大助の実質上の個人所有地になつた」旨の主張を前提として、本件保留地に関する記事が虚偽の事実の摘示に当らないとする主張も、採用の限りでない。
〔5〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の八、九及び金澤控訴趣意第二の二の5について
所論は、社会福祉法人新屋厚生会が、昭和四二年夏にその所有する土地を秋田県から新産業都市計画の工業用地として買収する申入を受けたが、同年一一月、川口が自ら理事長をしている秋田市都市建設公社をして県の提示額より高価に買収させ、かつ、使途の自由な運用資金の捻出にまで、同厚生会のために骨折つたことにつき、秋田ジヤーナルが、「川口は厚生会側から謝礼一〇〇万円を貰つた」と掲載したため、昭和四四年四月九日の臨時市議会において、川口が右謝礼収受の有無について質疑を受けるに至つた際、川口は、簡明直截に貰つたことはないと答えていないのであるから、本件住宅ニユースの「この件も、その後議会で問題となり、とりあげられたが、別に否定しなかつたといわれている。」旨の記事は、虚偽の事実を摘示したものではなく、また、前記謝礼の趣旨で、川口が厚生会側から、仏像一体(時価三〇〇万円)の贈呈を受け、これを市立美術館に預けたが、このことが問題になるに及んで、後に日新保育所に移したものと推定されるから、「ねだつて贈呈を受けたが、市議会で問題になると、個人として県立美術館へ寄贈したと弁明し、何とかその場を切り抜けた」旨の記事は、仏像購入につき厚生会の当初予算に計上されず、本件報奨金から支出されており、安置すべき保育所が未完成であり(所論は括弧書中に昭和四八年四月ころ完成と記しているが、引用の証人川口弥之助の尋問調書には、同四四年四月に完成予定で同四五年四月に完成したと記載されている)、保育所の建設資金のため農協から三、〇〇〇万円を借入れているなどの諸事情からみても、厚生会は保育所の守り本尊とするために仏像を購入したのではなく、川口に謝礼として贈呈するために購入し同人に贈呈したものであり、その重要部分は、真実を摘示しており、いずれも虚偽の事項に該当するものではないというのである。
所論に鑑み関係証拠を検討してみると、新屋厚生会の所有地を県に売却するに当り、川口大助が理事長をしていた秋田市都市建設公社が、一旦新屋厚生会から買受け、県に転売し、その差益金中七五〇万円を報償費名下に厚生会に支払い、厚生会としては使途自由な運用資金を捻出してもらつたことに感謝し、同理事会の決定に基づき、昭和四三年五月川口市長、小島助役、齋藤助役、小原都市建設公社理事の各夫人に現金五万円宛を贈つたが、川口、小島、齋藤の三夫人が、その後直ちにそれを厚生会に返還した事実の存在したことを認めることができる。そして昭和四四年四月一日付秋田ジヤーナル(前押号の二四)・秋田市議会会議録(前押号の六)中、本件一〇〇万円についての質疑応答部分によれば、右秋田ジヤーナルが、市長、助役夫人らが厚生会から金五万円を受取つてこれを返還したこと、及び同公社理事小原春治が警察で川口市長が厚生会から金一〇〇万円を貰つた旨供述しているがその点について証拠がないことなどの記事を掲載したため、同月九日の臨時市議会において、共産党所属議員が、川口市長に対し右一〇〇万円贈与の件をただしたところ、川口が、この件について秋田ジヤーナルの編集発行責任者である伊藤為之助に電話で抗議し、記事の悪い部分は早速訂正する旨の返事があつたと応答していることが認められるが、その応答の趣旨に照らせば、右一〇〇万円の授受は事実無根で迷惑している趣旨の答弁をしたものと優に認められ、かつ、原審における証人川口弥之助の尋問調書の記載などを綜合すれば、右一〇〇万円の授受は全くなされなかつた旨の原認定は肯認しうるから、「厚生会が謝礼として川口市長に百万円渡したといわれる」との記事は、虚偽の事実を記載したものであり、またその件が議会で問題になつた際、「川口市長は別に否定しなかつたといわれている。」との記事は事実をゆがめたものと認められるから、ともに虚偽の事実を記載したものであるとの原認定に事実誤認のかどはない。また、仏像一体の贈与の件の所論のうち、仏像購入予算は当初全く計上されていなかつたなどの背景諸事実の点(野村・小林控訴趣意第二点第一の九の1乃至4、金澤控訴趣意第二の二の5の(二))については、仮にこれらの諸事実が認められても、直ちに川口が所論仏像の贈呈を受けた事実を認めるに足りないものであるばかりでなく、仏像贈呈の件に関する本件住宅ニユースの記事が虚偽の事実に当らないとの所論が、証拠上是認し得ないものであることは、後出(第六の(二)の〔1〕の〔C〕の(へ))の判断のとおりである。
(二) 記事の虚偽性の認識について。
〔1〕 野村・小林控訴趣意第二点第一の六〔(3) の件〕、七〔(4) の件〕、九〔(5) の件〕及び金澤控訴趣意第三について
原判決は第一の事実につき、「被告人廣田及び廣田の取材に応じ資料を提供した同落合、同草階、同東海林、同玉尾、以上五名と後援会関係で共謀頒布・公表した同池田、同荻原、右五名と市支部関係で共謀頒布・公表した同齋藤、同古家、同高安、同池田、同荻原、右五名と刷新会関係で共謀頒布・公表した同細渕は、それぞれ本件記事ないしは各該当記事を真実と信じるに相当の理由がなかつたことはもちろん、それらの記事内容が虚偽であることにつき確定的または少なくとも未必的認識があつた」旨判示しているが、被告人ら(同廣田を除き)は、該当各記事の虚偽性の認識を欠き真実であると信じたか、あるいは真実と信ずるにつき正当の事由があつたのであるから、右判示部分には事実誤認がある旨の主張について
〔A〕 地裁跡地払い下げの件について
(イ)被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原、同東海林及び、同落合(東海林については市支部関係、落合については後援会関係各頒布のみ)について
関係各証拠、就中、昭和四四年四月九日会期の秋田市議会会議録(前押号の六)によれば、被告人東海林、同古家は、同日の会議に出席し、「土地売払いの件」の議案の審議に関与していること、同池田の同四六年七月二四日付検察官に対する供述調書中「私が住宅ニユースを見たとき、要するに川口市長が市政を独断専行し、私財を貯えたという事を訴えるために嘘や本当の色々な話を取りまぜて書かれている、ある事、ない事を非常に誇大にしかも色々脚色して書かれているなと思つた、強行採決する必要などないし、その様な噂も聞いていないので、事実とは思わなかつた」旨の記載、同齋藤の同日付検察官に対する供述調書中「私は市会議員を長くやつているのでよく判るが、川口市長がいかに私腹をこやすとしても、社長のようにふるまつて、秋田市を株式会社のように運用することはできないから、この書き方は全く事実に反する」旨の記載、原審第二七回公判調書中被告人古家の「裁判所跡地の払い下げ議案について、この議案は、四五年の三七番の議席で最後列でありました、その時、わたしは採決の瞬間に、まさに採決せんとするとつさの場合に退場しました」の供述記載、及び同古家の七月二九日付検察官に対する供述調書中「当時市の総務委員会で一〇名中私一人だけ反対したのにもかかわらず多数決で払い下げが決つてしまつたのでこれは私に言わせれば強行採決だと思つています」旨の記載、同高安の七月二一日付検察官に対する供述調書中「当時の議会の構成からは、いわゆる強行採決などということは必要のないことです、市議会での質疑応答の詳細は知らないし、このような記事がはたして事実かどうか判断する資料はなく非常に疑わしいものと思つた」旨の記載、同荻原の同月二三日付検察官に対する供述調書中「私は、秋田ビルへの市有地払下げが、満場一致で可決されたと聞いていたから、この強行採決も事実に反するだろうと思つた」旨の記載、同落合の同月一七日付検察官に対する供述調書中「私の原稿中、川口が市有地を秋田ビルに安く譲渡して不当利得を得ていると書いた部分、川口大助の株式会社秋田市の様相を呈していると書いた部分は、川口市長の悪政を市民に訴えるため曲げて書いた」旨の記載、同東海林の原審第二〇回公判詞書中の供述中、GSクラブで同廣田に話をした際のことにつき、「私は、強引に議決をしたとは言つていない、川口市長は、秋田ビルの建物は中小企業者に対して売場を安く提供される、業者の育成だと言いながら結論的にそうなつていない、うそを言つたわけです、だから強引と言えば強引なことになるんじやないですか、ただ強引に議決をしたとは言つていない」旨の記載に加え、本件地裁跡地と市有地の等価交換及びその秋田ビルへの払い下げは、前記認定のように、秋田市都市計画事業の一環として、国及び県の協力のもとに、秋田市における長年の懸案事項を解決しようとしたいわば長期にわたる大計画のひとつの結末であり、秋田市民においてひとしく注目するところであり、しかも、右被告人らは、いずれも秋田市乃至はその近隣に在住し、かつ、地方政治に直接乃至間接に関与するもので、市政の動向に対しても平素から深い関心を持ち正確な情報を入手し得る立場にあつたものと認められることに照らせば、「右被告人ら(池田、齋藤、古家、高安、荻原及び細渕)が、右各記事(独断決定・強引議決)についてすくなくともそれが虚偽であるかも知れない旨の未必的な認識を有していたことは容易に認めることができる。なお、被告人東海林および同落合については、記事を一読したうえ、頒布の共謀に加担した分(被告人東海林につき自民党秋田市支部関係の頒布分、被告人落合につき後援会関係の頒布分)に限り、右と同様の理由により、記事の存在およびその虚偽性についての認識があつたものと認められる。」との原認定に事実誤認のかどはない。
(ロ)同細渕について
金澤控訴趣意第三の一、六の骨子は、(い)政党又は秋田市長候補とは全く無関係の住宅ニユース社から、同様無関係な東京都内で発行されている住宅ニユースに、川口市政についての記事が掲載されているのを知つたので、右の新聞の性格からその記事の公正及び真実性が信じられた、また、(ろ)青森、又は国会内にまで喧伝されていたものであることから考え、地裁跡地問題等が、広く社会一般に問題化されたことが明らかで、(は)同被告人は同旨のことが秋田市民の間で広く話題となつていたのを聞知していたから、記事は真実なものと信じたというのである。
そこで関係証拠を検討すると、右のうち(い)については、住宅ニユースという新聞が直ちにその記事の真実性と公正さを信じさせるような性格であることを含めて、すべてこれを認めるに足りる証拠はなく、(ろ)についても、被告人がそのようなことを認識していたということの証拠は見当らず、(は)については、これに沿う同被告人の原審第二六回公判調書中の供述記載があるところ、それは、「秋田ビルとあの土地を評価すると、なんだかんだで一三億円になるということをちよつと耳にしたとか、川口市長の会社関係とのゆ着ぶりは大変な話題だつた」というものであり、等価交換や秋田ビルにまつわる独断決定とか強行採決ということが、「街の中の話として、だれも調べようとしないで人の口から口へ話題となつてひろがつている、市民にそう映つていた」のを同被告人は本当だと思つていたというのであつて、街の中の話としてひろがつていたということが、真実と信ずるにつき相当の理由に当るというに足らないことは言うをまたないのみならず、同被告人の同年八月五日付検察官に対する供述調書中の「市有地払下げ強行採決の記事については、真偽の程は判らなかつたが川口市長のやり方(前後の記載から、川口が市政を独断専行し、私利私欲を求めていることを指すものと窺われる)を攻撃するのによい記事だと思つた」旨の記戦中の真偽の程は判らなかつたということと表裏をなすものと解せられ、その他関係各証拠に照らし、前掲(イ)に引用の原判示は優に肯認することができる。なお、ほかに、これを信ずるにつき相当の理由があつたことを窺わさせるに足りる証拠は何ら存しない。したがつて、同被告人の認識及び真実と信ずることの相当の理由の存在についての弁護人の所論は理由がない。
〔B〕 一七社の件について
被告人細渕について金澤控訴趣意第三の二、六の主張は、平素から川口市長と会社関係のゆ着ぶりは大変であると市民間で話題となつているのを聞知していたので、本件記事を真実であると信じていたというのであり、前出〔A〕(ロ)(は)と同旨であるから、これに対して示した判断と同一であるうえ、同被告人の同年八月五日付検察官に対する供述調書中「秋田ビル株式会社、秋田ステーシヨンデパートの社長、秋田テレビ株式会社の重役については、その通りと考えたが、その他の会社については、真偽は判らず、中には疑わしいものがあると思つた」旨の記載に照らし、所論は理由がない。
〔C〕 資産の件、保留地の件、新屋厚生会の件
原審記録及び原審取調べの関係証拠を検討してみると、
(イ)被告人草階、同東海林、同玉尾について
右被告人らが、資産の件、保留地の件、新屋厚生会の件の各記事につき、非常に真実に乏しい乃至はそのような事実はないとの認識を少なくとも未必的に有したものであると関係証拠により認められることは、第一の〔B〕においてすでに判断を示したとおりである。
(ロ)被告人落合について
関係証拠、就中、同被告人の昭和四六年七月二日付検察官に対する供述調書中「昨年一二月二三日の後援会の事務局開きから荻原当選の準備を進めた次第で、玉尾、東海林、草階らから川口市長の政策、私行について聞くようになつた、草階からは、女性関係があることや資産を一桁の単位ではなく二桁の単位は持つているのではないかと云うことなどを聞いたが、いずれも噂程度のもので確認の方法はなかつた」旨、同被告人の同月一七日付検察官に対する供述調書中「二月中、私が後援会事務局で人の持つて来た住宅ニユースを初めて見た、極めて疑わしいと思つていた新屋厚生会の市長に対する百万円贈呈とか仏像を送つたとか、その他に区画整理によつて生じた保留地が川口市長個人名義になつていると云う事まで書かれていた、保留地問題にしても私は、市長川口名義になつているものと思つておりましたが、その新聞には川口大助の個人名義になつているとあつたので、そのような事実はあり得ないと思つた」旨、
(ハ)被告人池田、同齋藤、同高安、同古家、同荻原、同細渕について
就中、同池田については、その同年七月二四日付検察官調書中「いかにやり手の川口でも一代で一三億円も築くなど、とても信じられず嘘だろうと思つた」、「色んな悪評判のある川口市長も市の保有地を自分の個人名義にするという様なこと、新屋厚生会からまさか百万円の現金を貰うことはないと思つた」、「新屋厚生会から土地売却斡旋の謝礼として金の仏像を貰つたという噂は相当前から聞いていましたが、単なる噂の域を出ない話で、私は確めた事もなかつたし、川口市長がその事で警察などから事情を聞かれたという話も聞いていなかつたから真実性は非常に疑わしいと思つた」旨の記載、同齋藤については、その前同日付検察官に対する供述調書中「一代で一三億築くというのも嘘だと思つた、常識的に考えて市の行政をごまかして貯められる額ではないと思つた、また銀行員が他人の財産等を口にする筈はなく、記事を書いた者がもつともらしく見せるために書いたものと思つた、記事の中で嘘の最大のものは保有地の部分です、私は長らく市の建設委員をして良く判つていますが、全くのデタラメ記事です、厚生会が川口に百万円渡したという記事は、当時市議会で何ら弁明がなかつたので本当か嘘かはつきり判らなかつた、仏像をくれと要求して貰つたという記事も確証も持たず判定ができず真実性に疑を持つていた」旨、同高安については、その同月二一日付検察官に対する供述調書中「一代で一三億円築いたという部分は、いくら川口君が公私を混合して利益をはかつてもせいぜい一億円位だと思つていたので、この部分も嘘が書かれていると思つた、保有地問題や仏像等のことについては、この新聞を読んで初めて知つた、市議を離れて二〇年にもなり、これらの中で市議会で取り上げられたことも有るようだが、質疑応答の詳細は知らず、事実かどうかの判定資料はなく本当か嘘か非常に疑わしいものと思つた」旨、同古家については、その同月二九日付検察官に対する供述調書中「一〇〇万円渡されたという点については本当か嘘か私には判らなかつた、仏像をねだつて貰つたと書いてあるが、噂によれば、川口さんの母親が欲しいというので要求したというのだが事実かどうか判らない、はつきり一三億あるのか直接調べてみたわけではないからはつきり判らない、保有地を川口市長の個人名義にしたという部分は登記所などを確めていないから嘘か本当か判定はできない」旨、同荻原については、その同月二三日付検察官に対する供述調書中「一代で一三億を築くの記事は、五、六億位はあるだろうと思つた、仏像については噂を前からきいていた、真偽のいずれとも判らないものだつた、一〇〇万円は住宅ニユースを見て初めて知つた、私は住宅ニユースを見た時、要するにこの記事は、川口市長が秋田市政を私物化して財産をたくわえたことをあらわすため、町の噂されている本当の話や嘘の話などを取りまぜて書かれたものだと思つた」旨、原審第二九回公判調書中同被告人の「市保有地の記事は、人のうわさだから、あてにならんこともあるんだ、本当かも知れんけども、うそかも知れんと、そういう気持をもつた」旨の各供述記載、同細渕については、その同年八月五日付検察官に対する供述調書中「一代で一三億円築くの記事については、真偽は判らなかつたが川口大助氏がそんなには築いていないだろう、オーバーではないかと思つたが、私利私欲を追及していることをあらわすのにピタツとした記事だと思つた、市保有地が市長個人名義の記事についても、真偽のほどは判らなかつたが、多分に疑わしいと思つた、仏像と百万円の贈与をうけたという記事は、当時は噂には聞いていたが、真偽については判らなかつた」旨の各記載がある。
(ニ)関係証拠、就中、右に記載した各証拠によれば、
(い)資産の件の記事について、「被告人草階、同東海林および同玉尾は、被告人廣田の話に合槌を打ち、また川口の資産が一三億円ぐらいあるものと示唆して右記事の材料を提供したものであり、その他の頒布自体の共謀ないし実行につき刑責を負うべき被告人ら(被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕)は、いずれも本件住宅ニユースの頒布に先だち、右住宅ニユースを一読したものであつて、いずれの被告人も右記事について認識を有していたことは明らかである。
そして、右被告人らはいずれも秋田市ないしはその近隣に在住する者達であるうえに、被告人草階は、一級建築士として秋田市建築審査委員などをつとめ、日頃市政に深い関心を抱いていたものであり、その他の被告人らも、いずれも地方政治に直接ないし間接に関与するものとして、市政の動向に深い関心を抱いていたものであつて、そうした各被告人らの地位や政治への関心からすれば市長の財力や資産について比較的正確な情報を入手し得る立場にあつたものと認められ、それに加えて常識的にみても一三億円は市長が容易に蓄財し得る金額とは考えられないことなどの事情を勘案すると、右各被告人らが、本件記事についてすくなくともそれが虚偽であるかも知れない旨の未必的認識を有していたものと認めることができる。
なお被告人落合については、右記事を一読したうえで頒布の共謀に加担した分(後援会関係の頒布分)に限り、右と同様の理由により、記事の存在およびその虚偽性についての認識があつたものと認められる。」との判示部分(原判決六九丁、七〇丁)、
(ろ)保留地の件の記事について、「被告人草階、同東海林および同玉尾は、被告人廣田の取材に協力して本件記事の材料を提供したもの、被告人廣田は右提供された材料に基づいて本件記事を作成したもの、その他の頒布自体の共謀ないし実行につき刑責を負うべき被告人ら(被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕)はいずれも本件住宅ニユースの頒布に先だち右住宅ニユースを読んで本件記事が掲載されている旨認識していたものであつて、いずれの被告人も右記事について認識を有していたことは明らかである。そして、右記事の真偽は不動産登記簿などを調査すれば直ちに判明することであるうえに、事柄の性質上市長の公職にあるものが容易になす筈のないことであるから、地方政治に直接ないし間接に関与するものとして市政の動向に関心を抱いていた被告入玉尾、同東海林、同草階、同池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕は、その真実性について何らの調査をしていないこと前記のようであるのに右記事が真実であると信じたものとは到底認め難く、すくなくともそれが虚偽であるかも知れない旨の未必的な認識を有していたことは容易に認めることができる。
なお、被告人落合については、右記事を一読したうえで頒布の共謀に加担した分(後援会関係の頒布分)に限り、右と同様の理由により、記事の存在およびその虚偽性について認識があつたものと認められる。」との判示部分(同七二丁、七三丁)、
(は)新屋厚生会の件の記事について、「被告人落合、同草階、同東海林および同玉尾は被告人廣田の取材に協力して、本件記事の材料を提供し、被告人廣田は、右提供された材料に基づいて本件記事を作成したものであり、その他の頒布自体の共謀ないし実行により刑責を負う被告人ら(被告人池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕)は、いずれも本件住宅ニユースの頒布に先だち右住宅ニユースを読んで、本件記事が掲載されている旨認識していたものであつて、いずれの被告人も右記事について、認識を有していたことは明らかである。そして、右記事の内容は、それが真実であれば刑事事件に発展する可能性の強い重大事であつて、市長の公職にあるものが、容易になす筈のない事柄であるから、地方政治に直接ないし間接に関与するものとして市政の動向に関心を抱いていた被告入玉尾、同東海林、同草階、同落合、同池田、同齋藤、同古家、同高安、同荻原および同細渕は勿論、被告人廣田も、その真実性について何らの調査等もしていないこと前記のとおりであるのに右記事が真実であると信じたものとは到底認め難く、すくなくともそれが虚偽であるかも知れない旨の未必的な認識を有していたものと認めることができる。」との判示部分(同七六丁、七七丁)は、(い)につき、「常識的にみても一三億円は市長が容易に蓄財し得る金額とは考えられないこと」、(ろ)、(は)について「市長の公職にあるものが容易になす筈のない事柄であること」と断定するなど、例外もあり得ることに意を用いないやや独断と疑われる節のある点を除き、その余はすべて相当であるとして、これを肯認し得るところであり、結局事実誤認のかどはない。
(ホ)被告人細渕の真実であると信じるに正当の事由があるという主張(金澤控訴趣意第三の三乃至六)について
所論が、住宅ニユースの資産の件、保留地の件、新屋厚生会の件につき、同被告人には記事が真実であると信ずるに足る相当な理由があるとして挙げる点については、第六の(二)の〔A〕地裁跡地払い下げの件の(ロ)において示した(い)、(ろ)、(は)の理由と同じで、それに対する判断もそれに対して示したと同趣旨であり、各記事を真実と信ずるに相当の理由があるとするに足りないものである。加えて、所論は、保留地の件につき、同被告人は、播磨良吉から、同人が県警厚生課長時代に職員会館を建てようとしたら、その土地が川口の土地であつた旨の話を聞いていたので右記事は真実と思つたというのであるが、原審第二六回公判調書中の被告人細渕の供述記載と原審証人播磨良吉の尋問調書(記録二九冊二〇七八丁以下)の記載を対比検討すると、同被告人が自民党会館の隣接地の市の保有地がいつの間にか川口市長の個人名になつているという本件記事を読む前に知つていたというのは、播磨良吉が昭和三九年七月頃から同四一年八月頃まで県警厚生課長の職にあつた間に、「県警職員会館を建てようとしたらその土地が川口の土地であつた」という程度の、あまり詳しくない話を、播磨が佐々木義武事務所の事務局長をしていた昭和四五年中(七月以降)に、同事務所の秘書であつた被告人細渕に話したというのであり、右播磨が県警職員会館建設に係わつたというのは、同人の証人尋問調書の記載その他関係調書によれば、県警の厚生施設の宿泊所を建てるのに、警察の土地と佐藤イヱ名義の土地が互いに細長く隣り合せていたので、それを互いに正方形の土地になるように交換分合をしたとき、その話合いや手続の履践について佐藤イヱ側は川口市長乃至は市の担当部課の職員がたずさわつたというのである。被告人細渕が、播磨から「職員会館を建てようとしたら川口の土地だつた」と聞いていたことを詳しく調べることもなく、これを直ちに「市の保有地が川口市長の個人名義になつている」という記事の記載内容に結びつけて、この記事を真実であると信ずることは、社会通念からみて、軽率のそしりを免れず、到底信ずるにつき相当の理由がある場合に当るということはできない。次に、新屋厚生会の件の記事について、所論(第三の五)は、一〇〇万円と仏像の贈呈を受けたことにつき、県警特捜班において川口市長に対し汚職容疑で捜査が行われ逮捕直前に立至つた旨の事実を指摘し、本件は単なる市井の噂にとどまらぬ信ずべき事実であるというが、被告人がかかる捜査の行われた事実を知つていたことの証拠は見当らず、仮に知つていたとしても、原審証人柴田作五郎の証言によれば、同人が捜査を担当して、汚職容疑で逮捕状請求の可能性を検討したというのは、本件一〇〇万円や仏像に関する容疑事実ではない。また、一〇〇万円及び仏像の件は小原春治の取調べの結果判明した事実であるという点については、秋田ジヤーナル昭和四四年四月一日号(前押号の二四)に、「広報あきたの不正事件」として報ぜられ、「新屋厚生会に飛火か、会長川口弥之助氏取調べられる」という見出しの本文中に、「川口会長から、押収の関係書類につき説明と取調べを行つたが、小原の自供した川口市長に礼として百万円の授受の証拠はない」と記載されているところ、仮に被告人がこれを読んでいたとしても、一〇〇万円贈呈の事実を信じるについて有力な根拠となるものとはなし難い、また、原審証人齋藤芳郎尋問調書中「新屋厚生会の理事長や理事を調べたと思うが、当時は、いろいろな問題があつたようで、記録全体を見ると中途半端になつていたようで、継続捜査の資料として残つていた、内偵して送検に至らなかつたようなものを担当の刑事が一般社会人に喋るということがあるのかといえば、事件の内容は話していない」旨の供述記載を俟つまでもなく、他の被告人についてと同様、同被告人においては、本件住宅ニユースを読んだ当時、すでに捜査の事実とその内容について知つていたことを窺わせる証跡は見当らないから、所論は前提を欠き、採用するに由ない。
次に仏像の件については、原審取調べの各証拠、就中、住宅ニユースの仏像贈呈の件の記事、すなわち「厚生会側では、その仏像を購入、市長に贈呈したそうだが、この件が市議会で問題になつた。ところが市長は、『仏像は個人として秋田県立美術館へ寄贈した』と弁明、何とかその場を切り抜けたが、現在、寄贈されたはづの仏像は展磨(覧の誤植と思われる、)されていない。」のうち「市議会で問題になつた」との記載は、それに先行する一〇〇万円贈呈の件の記載に対比すれば、議会の議題として質疑の対象となつた趣旨に読まれるところ、そのような事実のなかつたことは、原審第六回公判調書中の証人小島政見の「議会で問題となつたことは、はつきり記憶ない、そのような噂はあつたかも知れぬ、議会あたりでそういう話が出たんじやなかつたですか」との供述記載によつて十分窺われるところであり、前記川口弥之助の証人尋問調書中「市長が仏像をせがんで私共に買つてほしいということを要請したような事実は全然ない、私が理事会にはかり、値段のことについては、北島美術館長に伺い、服部先生宅を訪問したら慈母観音でなく如意輪観音だつたので実はがつかりして、しばらくはその問題を避けていたが、私は保育所の守り仏にしようという非常に強い信念を持つていたし、それでもよいではないかという役員の希望が強かつたので大島理事と再び上京して話を進めた、仏像は市立美術館に送られて来て、日新保育園が新築完納と同時に市立美術館から移した、それまで寺宝展から懇望されて、県立美術館に出品した時以外は、どこへも移したことはない」旨、原審証人北島晨一、(市立美術館長)の尋問調書中「厚生会から預かつて呉れと頼まれ、随分長く市立美術館に預つた、寺宝展以外どこへも動かしたことはない、一年半か二年位預かり、展示室の中に安置していた、所有者である新屋厚生会の名前をちやんと表示していた」旨、同証人冨岡徳次郎(新屋厚生会理事)の尋問調書中「建設公社から骨折つてもらつたというので、理事長であつた川口さんにお礼という意味で仏像を買おうという話になつたということは全然聞いていない」旨の各供述記載に照らせば、原判決中、「また厚生会では、昭和四三年春ころ、同会の理事長川口弥之助が、秋田市立美術館長北島晨一から紹介されたことをきつかけとして、理事会にはかつたうえ、故服部仁郎作の如意輪観音像を右服部氏の未亡人から金三〇〇万円で買受けたが、右の仏像の安置場所に予定していた同会の保育園が改築の予定であつたため、右北島に依頼して暫時右仏像を市立美術館で保管してもらうこととなり、同仏像は、同館に暫く展示された後、右保育園改築後今日まで同園に安置されている。その間、右仏像は、県立美術館で催された展覧会に数日間出品されたことが一度あるがそれ以外に他に移されたことはなく、市長室に安置されたこともない。また、川口市長が、厚生会に対し仏像一体をねだつて同会から貰い受けたことも、仏像の件が市議会で問題となつたこともない。」との判示部分は肯認することができ、したがつて、「『他にも川口市長は厚生会に仏像一体(時価三百万円)をねだり、厚生会側では、早速その仏像を市長に贈呈したそうだが、この件が市議会で問題になると、市長は、仏像は個人として秋田県立美術館へ寄贈したと弁明し、何とかその場を切り抜けた』との記事が、虚偽の事実を記載したものである」との判示部分も肯認することができ、事実誤認のかどはない。なお、所論が、新屋厚生会の件が、かつて捜査の対象となつたことのあることを指摘して、このことは一〇〇万円収受及び仏像収受記事が単なる市井の噂にとどまらず、その真実性を窺わせるに充分であると主張する点について検討すると、原審証人齋藤芳郎(元秋田県警察本部刑事部長)の尋問調書中には、住宅ニユースの下から三段目に記載の新屋厚生会関係記事と殆ど同じ内容を、小原春治が、業務上横領の件で捜査された折、供述したことを窺わせる記載はあるが、その供述が具体的にどの範囲内容のものか、どのような関係で、如何なる動機目的によりなされたかなどは、右尋問調書自体からは明らかでないところ、原審証人川口弥之助の尋問調書中に「警察での仏像についての調べをずつと聞いていたが、理事の方々が仏像に名を借りて、ちつぽけな仏像でも買つて膨大な金額を支払つて、あとの余分なものをふところにしたんじやないかというような疑いをもつて聞かれたというような気分がして、非常に、内心、怒りを感じた。警察官は美術館に現物を見に行つて時価一、〇〇〇万円もすると聞いて驚いて帰つて来たという話をあとで聞いた」との供述記載があることに鑑みれば、仏像の価格に関してのものとも窺われるのであり、右小原の捜査記録が存在したとしても、その一事をもつて、本件新屋厚生会の記事の虚偽性を払拭するに足りるものとは評価し難いといわなければならない。
したがつて、一〇〇万円謝礼の件及び仏像贈呈の件に関する本件住宅ニユースの記事が虚偽の事実に当らず、被告人が真実と信じ、かつ、それを信ずるにつき相当の理由があつたとの所論は、証拠上も、また社会通念からもこれを是認することを得ない。
(ヘ)野村・小林控訴趣意中の真実であると信じることに正当の事由があるという主張(第二点第一の六、一〇に資料の件、第一の七に保留地の件・第一の八、九に新屋厚生会の件)について
所論は、右正当の事由があることについて、趣意書中に後記(い)、(ろ)、(は)に所述する点のほか、その根拠を具体的に明らかにしていないが被告人らの原審における供述中には、金澤弁護人指摘の諸点に沿うような供述があるところ、それらの弁解については、被告人細渕についての(ホ)に判断したところと同様である。
(い)資産の件につき、所論(同趣意書九九頁、一二九頁)は客観的事情から信ずるにつき相当の理由があるというが、就中、被告人玉尾、同東海林、同草階らが、所論指摘の小倉、西村、柴田の各供述内容を知つていたとして考えてみても、同廣田から、同人が飲み屋で銀行員と称する男から一〇億位の財産はあると聞かされたことを聞いたことにより、川口の資産が一三億あると信じたということに相当な理由があつたものと認めるには足りない。
(ろ)保留地の件につき、所論(同趣意書一一九頁)は、信ずるにつき相当の理由があることについて、該土地が実質上川口の所有と推認しうる証拠を同趣意書一〇三頁乃至一一八頁に列挙し、これを援用しているが、これら証拠の大部分は、所論のいうように、弁護人、被告人らが本件の調査として「発掘した数々の証拠」であり、それらが該土地が実質上川口の所有に属することを推認させるに足りるものでないことは前述のとおりであり、被告人らが、それぞれの本件犯行の際にそれら事実を知つていたものとして考えてみても、被告人らが本件(4) の記事を真実と信ずることを相当とする理由としては十分のものではない。
(は)新屋厚生会の件につき、同趣意書中主として一二四頁乃至一二八頁に掲げる「証拠及び事実を踏えて」その主張を述べているが、同一二四頁以下の1乃至4の点は、本件一〇〇万円及び仏像が川口に贈呈されたか否かの事実につきこれを肯定する情況的事実としては、その根拠性が社会通念上稀薄といわざるを得ず、そのうち厚生会が服部宅から仏像を購入するに至る経緯の詳細な事実や厚生会の仏像購入の資金措置等についての事実は、本件との関連性の曖昧な原審の証人齋藤芳郎の供述にかかる業務上横領捜査事件に関する記録が残存するという事実とともに、被告人らにとつては、本件の調査によつて公判廷に顕われた証拠乃至事実であり、被告人らが本件犯行時それら事実を知つていたとして考えてみても、被告人らが本件住宅ニユース関係(5) の新屋厚生会の件の記事を真実と信ずることを相当とする理由として十分なものであるとは認められない。
第七週刊実話の原判示記事の虚偽性とその認識についての原認定を論難する主張について。
(一) 記事の虚偽性について。
〔1〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の一、二、九及び内田控訴趣意第一点第六の四について
所論は、原判決第二部の第二の(1) 連絡船上の件及び同(6) K組の件の各記事については、同(2) 松岡の件、(3) 山田の件、(4) 奥田の件、(5) B子の件に記載の四人の女性と川口との間に情交関係があつたという記事の中の重要部分中に見られる川口の性的に奔放な性格を比喩的に表現しているのにすぎない。また、(6) の記事は、右のような奔放な女性関係が批判されていること等を示す記事であつて、枝葉の点に関するものであるから、多少真実に合致しない点があつても、名誉毀損の罪にいう事項及び公選法二三五条二項にいう虚偽の事実に該当しないというのである。
そこで、本件週刊実話(前押号の一)の一八頁乃至二一頁をみると、右(1) 及び(6) の各記事は、所論が本件記事中の重要な部分であるという(2) 乃至(5) の記事と順次並列して掲載してあり、これらと同じ重要度をもつと思わせる記事の外形を具えており、かつ、(1) の記事は、内容が(2) 以下と同様に具体性をもつたもので比喩的表現とは言い得ないこと、(6) の記事は、川口市長から煙たがられて請負工事を貰えなくなつた工藤組前社長が、川口の女性問題等を取り上げて川口を困惑させたあげく、川口市長がやむなく約一億円の秋田大学整地工事を請負わせたという経緯の記述がその本筋と認められ、右(1) 及び(6) の各記事は(2) 乃至(5) の事項と対照してみても、その所論のいう枝葉の点に関するものに当らないことは、すべて、記事自体から明らかなところであるから、所論は前提を欠き採用の限りでない。
〔2〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の三乃至五及び内田控訴趣意第一点第六の一について
所論は、原判決第四部の二において(2) 松岡の件につき、原判決が(イ)として、
「証人鶴岡勝子、同茂本一春、同沢石謙、同飯坂テツおよび同川口大助の各証言によれば、鶴岡勝子の母親の経営する料理屋は、県議川口の協力もあつて昭和二八、九年ころから三年間位秋田県の指定寮をしたこと、川口は東京出張の折は右寮に宿泊し、その際に、右料理屋を手伝つていた勝子も川口の酒席の相手をしたり、川口を『大ちやん』と呼ぶこともあつたこと、指定寮をやめて後勝子は秋田料理の材料の仕入れのため一、二度秋田へ行つたこともあるが、秋田で川口と会つたことはないこと、指定寮をやめて後も川口は右料理屋へ食事のために行くことはあつたが宿泊したことはないこと、昭和三二、三年ころ料理屋をやめて後は、川口と勝子は会つたことがないこと、勝子は同三二年ころ夫と別居しその後離婚したが、その原因は勝子は性格の不一致と思つているが夫一春にはその原因が理解できないこと、そのころ秋田さきがけ新聞記者沢石は勝子の母から、勝子の夫の働きが悪いのでどうしたらよいかと夫婦別れの話ともとれる話の相談を受けたことがあること、その後沢石は上司から酒席で勝子夫婦の別れ話には川口君が一枚噛んでいたと聞いたことがあること等の事実が認められる。」
と判示した情況的事実に、原判決が証拠とした前記各証言中川口証言を除くその余の各証言を仔細に吟味して認められる諸事実を加味すれば、川口と同女との間に情交関係があつたことが認められるから、
「しかし、これら各事実を総合しても、いまだ川口と勝子が通常の県指定寮の娘と宿泊客という関係以上に出でてその間に情交関係があつたものと認めることはできないうえ、証人鶴岡は、同女と川口との間には情交関係がなかつた旨証言しており、勝子の夫であつた証人茂木の証言によつても、同人が勝子と川口の間に情交関係があると疑つたようなことも全くなかつたことが認められる。してみると結局証人鶴岡の証言により、同人と川口の間に情交関係はなかつたものと認められる。」
とした原判断には、証拠の価値評価を誤つた結果、事実誤認があるというのである。
しかし、所論がその引用の証拠により認められるとする諸事実、就中、飯坂テツの第一二回公判における証言中の「川口が『津る岡』に三、四回泊つたとき、勝子が川口を大チヤンと呼び、困る事は川口に相談していた。二人は一緒に熱海に行つたことがあるように感じられた。川口が泊つたときは一室をとり、勝子が給仕に当り、他の者はその部屋に入るのに遠慮する有様だつた」という点、勝子の証言中「指定寮をやめた後も川口と行来があつた」という点(この点は、勝子の証人供述調書の記載では、『指定寮をやめて、秋田料理をやるので、材料の仕入に主人と一、二度秋田に行つた、川口はお客さんとして店へ来たことはあつたと思う』-一八冊四五八六丁-というにすぎない。)の各証言部分は飯坂テツの右証言中、弁護人の「勝子は他にも浮いた噂はあつたか。浮気つぽい人ですか。」との問に対しては肯定しながら、「川口と勝子が特に深い関係にあると感じたことはないか。」との問に対しては「それは分りません。」と答えているなどを含む飯坂証言全体に照らし、また、川口証言とも併せて吟味すれば、直ちに情交関係の存在を窺知しうるとは断じ難く、この点に関する(イ)の原認定には、証拠の価値評価に明白な誤りを犯したとは認められないうえ、他の関係証拠に照らしても、原判断に所論の事実誤認のかどは認め難い。
ついで、原判決が(ロ)として、
「川口が秋田市長になると同時に東京の寮が市会議員の寮にかわり、月三万円の家賃と彼女への手当を払つて市長の東京別宅扱いだつた旨および市長が車屋をプレゼントし、松岡がそこのママにおさまつている旨の各記事が虚偽の事実を記載したものであることは、証人鶴岡、同川口および同佐藤勇の各証言によつて明らかに認められるところであり、右認定に反する証拠はない。」
と説示するところは、関係証拠に照らし肯認することができ、また、右記載が付随的記載にすぎず、独立した虚偽事実に当らないとの所論には、左袒することができない。
したがつて、(2) 松岡の件に関する記事の「虚偽性」について事実誤認をいう所論は理由がない。
〔3〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の六及び内田控訴趣意第一点第六の二について
所論は、原判決が、第四部の二の(3) 山田の件の(イ)において、川口が佐藤イヱの土地購入、仮換地分合、仮換地指定の変更、保留地の縁故売却等に関与している点について、
「鉄道クラブ賄婦佐藤は昭和三八年ころ右クラブの客川口市長にアパートを建てるのに良い土地を見つけてほしい旨依頼したところ、川口は、市建設部用地係をしていた丹生正秋に土地の購入方を委託したこと、その結果佐藤の購入した土地は隣地の警察共済組合用地と交換分合し、仮換地指定の変更を受けるに至つたが、その際、警察共済組合側の県警厚生課長播磨良吉は、右交換分合を希望して川口市長に直接その旨を伝えたところ、川口は右希望に応ずる旨を約束し、右希望を区画整理課長菅原貞雄に伝え、同人が都市計画課換地係員菅連蔵を介して佐藤から交換分合の承諾を得たこと、その後、佐藤が右交換分合に対する苦情を区画整理課長や川口に申し出たため、川口が、右課長に指示して適当な換地を探させた結果、四二ブロツク三ロツトに仮換地変更されたこと等である。」
と認定しながら、
「しかし、証人佐藤イヱは、同人との間には情交関係がなかつた旨証言しており、さらに証人池田貞治の証言によれば、佐藤が東光クラブ女中から鉄道クラブ賄婦となるについては川口は全く関係していないことが認められ、しかも、前記の各事実を総合しても、いまだ川口と佐藤が通常の鉄道クラブ賄婦と客、あるいは市長と市民という関係とは顕著に異なつた間柄にあつたものとは認められないから、結局、川口と佐藤との間に情交関係があつたものと認めることは到底不可能である。そして証人佐藤の証言により、同人と川口の間に情交関係はなかつたと認められるので、その間に情交関係があつた旨の記事は虚偽の事実を記載したものであると認めることができる。」
との判断を下しているけれども、(い)三浦惣一と佐藤イヱ間の土地売買に当つては、川口が下僚である前記用地係丹生正秋に命じ、市の用地買収という欺瞞的手段により売主三浦との間に契約を取りつけたこと、(ろ)佐藤イヱ、警察共済組合間の仮換地指定土地の交換分合の折衝に当つては、川口が佐藤イヱの土地の処分権限を有する者として振舞い処理したこと、(は)仮換地変更及び変更地の隣接保留地の払い下げは、佐藤イヱの依頼によるものとして、市長の職権乃至は地位を利用し、不当な利益供与を行つたことが証拠上認められ、これら一連の諸事実と、(に)前記(い)の三浦との土地買受け及び(は)の保留地払い受けの資金の出所につき、買主である佐藤イヱの原審における証言内容からは、川口からの出資が推認されることを併せ考えれば、川口と同女とは、通り一辺の客とクラブの雇われマダム乃至は賄婦との関係にとどまるものとは理解できず、原審の斎藤芳郎証言と同柴田作五郎証言からみれば、川口と同女との間には情交関係があつたものと認定するのが妥当であるとして、情交関係があつた旨の記事を虚偽の事実を記載したものとしている原認定には事実誤認があると主張する。
しかしながら、右斎藤、柴田の各証人尋問調書によれば、前者は、「巷にそうゆう話はあつたが、情交関係があつたのかなあと思つただけです」、後者は、「女性関係について保坂孝子、佐藤イヱについて内偵をしたが、捜査はしなかつた」というにすぎないばかりでなく、(い)乃至(に)の所論に鑑み、検討しても、川口と佐藤イヱとの間に情交関係があつたことを窺うことはできないから、情交関係があつた旨の本件記事が虚偽の事実を記載したものであると認定した原判示はこれを肯認することができ、この点に事実誤認のかどはない。
〔4〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の七及び内田控訴趣意第一点第六の四について
所論は原判決第四部の二の(4) の奥田の件の記事については、川口と神田宗子との間に情交関係があつた旨の部分が重要部分であり、「同女が県庁某課長と結婚する」以下の記事は、重要部分ではなく、独立した虚偽の事実に当らないとの所論に左袒しえないから、所論は採用の限りでない。
〔5〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の八及び内田控訴趣意第一点第六の四について
所論は、原判決前同の(5) のB子の件の記事については、保坂孝子が昭和三四年一一月市長公室秘書係となり、同四一年一一月に買入れた土地に、同四三年一月に家を建て単身居住していたこと、独身であること、ソ連旅行中の川口から文通があり、また、土産を貰つたこと、川口市長に同行して数回の長期出張をしたこと、とりわけ人目を慮り、保坂の外に休暇・私費の同僚高井淑子を伴つたこともあること、川口市長の妻と共に服飾店を経営したこと等の事実を挙げて、これらを綜合すれば両者の間に情交関係があつたと認定すべきが当然であるのに、情交関係がある旨の記事を虚偽の事実と認めた原判決の事実判断には誤りがあるという。
しかしながら、関係証拠を検討するに、原判決が(イ)として、保坂孝子は昭和三四年秋から同四六年春まで市長公室秘書係に勤務し、その間に市役所内で「淀君」とのあだ名をつけられたこともあること、同女は公務出張で川口市長に随行したことは何度かあるが、他に随行員がいるかあるいは同女の知人高井淑子が同行したため、川口と二人だけになつたことはないこと、同女は、川口に随行して東京へ出張した際、他の随行員秘書係員とともに川口の娘の住居に寄泊したこともあること、同女は川口から海外出張のみやげとしてトルコ石をもらつたが、その際他の秘書係員もみやげをもらつたこと、同女は川口の私印を預つていたことがあること、同女は、川口の妻が川口の親しい土木業者数社の社長の妻らとともに秋田ビル内に手芸用品の店を出した際、それに加わつたことがあること等の事実を認定したうえ、これら各事実を総合しても、いまだ川口と保坂が通常の市長と秘書という関係以上に出でて川口と保坂の間に情交関係があつたものと認めることはできず、情交関係がある旨の記事は虚偽の事実を記載したものであると認めた措置に不合理な点はなく、また証拠により、(ロ)として、川口が同女に家を新築してやつたり、市の金も自由に出し入れできる立場においている旨の記事が虚偽の事実を記載したものであると認めた判断は、優にこれを肯認することができるから、所論の事実誤認のかどはない。
(二) 記事の虚偽性の認識について。
〔1〕 野村・小林控訴趣意第二点第二の五〔(2) の記事のうち情交の事実〕、六〔(3) の記事の前同〕、八〔(5) の記事の前同〕、九〔(2) 乃至(5) の記事〕、内田控訴趣意第一点第七、第八及び吉田・内田控訴趣意(一)、(二)について
原判決は第二の事実につき、「被告人荒谷、同被告人の取材に応じ資料を提供した同落合、同草階、同東海林、同玉尾、さらに同荒谷から報告を受け、取材について指示し、最終稿の決定、発刊をした同山中及び以上の被告人らと共謀して頒布・公表した同池田、同荻原は、それぞれ本件記事ないし各該当記事を真実であると信じたとは、到底認め難く、また真実と信じるにつき相当の理由がなかつたことはもちろん、それらの内容が虚偽であることについて確定的あるいは未必的認識があつた」旨判示しているが、被告人らは該当各記事内容の虚偽性の認識を欠き、これを真実と信ずるにつき相当の理由がある場合に当るから、右判示部分には事実誤認がある旨の主張について
(I) 被告人玉尾、同東海林、同草階、同落合、同池田、同荻原について
〔A〕 松岡の件について
野村・小林控訴趣意第二点第二の五は、川口と鶴岡勝子との間に情交関係がないとしても、原判決七七丁以下に松岡の件の記事の虚偽性の存否を判断するについて、同女と川口との関係について認定判示した事実に加え、更に、弁護人において原審証人茂木勝子、沢石、飯坂らの証言によれば認められるとする事実を含めた「情況的事実」乃至「客観的各証拠」が存在するから、これによつて被告人らが川口と勝子との間に情交関係があつたと信じたことに正当の理由があつたと主張する。しかしながら、所論は、被告人らが、右にいう情況的事実乃至客観的各証拠の全部又は大部分を、被告人玉尾、同草階については、判示荒谷に対して記事材料を提供した際、同落合、同東海林については、記事を読んだ際までに、その余の右記被告人については、記事を読んだ際にすでに知つていたことを前提として、はじめて主張として成り立つというべきであるから、この点を検討してみる。関係各証拠によれば、原判決が週刊実話関係の記事の虚偽性に対する被告人らの認識について説示している(八四丁以下の関係部分)点は、優に肯認しうるところであるが、就中、(イ)被告人玉尾については、その昭和四六年七月一三日付検察官に対する供述調書中「第一会館鍋料理の店で、荒谷は伊藤から聞いて来ていたようで、県の東京第三宿泊所の娘と川口の間にも関係があつたという話をしていたが、私は、この件については、私が県事務局勤務の頃、そこへ泊り、噂話として両人が深い仲らしいという事を耳にしたことはあるが、真偽の程は判らなかつた」旨、(ロ)同東海林については、その同月一四日付検察官に対する供述調書中「GSクラブで荒谷に話をしたとき、川口が県議当時寮の管理人をやつていた勝子と深い関係ができ、同女は夫と別れ、川口が面倒をみるはめになつて、面倒をみている。東京麻布のマンシヨンに住んでいて月二、三回は川口と合うため秋田に来て秋田ビルの第一ホテルに泊るのだという噂をきいていたので、これを話したが、車屋のママに納つていることは知らなかつたので言わなかつた」旨、(ハ)同草階については、その同月一四日付検察官調書中「誰から聞いたかと云われると特定できないが、要するに街の噂で、川口が県議当時、上野広小路県指定旅館の鶴岡というママさんと深い関係ができたということを話した、東海林がその女は秋田ビル車屋のママに納つており、月二、三回秋田に来ると話した。荒谷は相手の女性の所をまわつたが否定され、あるいは逃げられたと言つており、私の考えたとおり、深い関係を確かめることはできなかつたようだ」旨、(ニ)同落合については、その同月二日付検察官に対する供述調書中「川口市長の女性に関する話は全く噂であり、荒谷が保坂、神田、佐藤方等に取材にまわるのに同行した。反撃されたとき荻原にとりマイナスになるので、私自身も一緒に確めておきたいと云う気持があつたからです」旨、(ホ)同池田については、その原審第二八回公判調書の供述中「昭和四六年二月当時川口が上野広小路の県議会指定寮の女性と関係し、その後、市議会の寮に変えて手当を与え、車屋をプレゼントしたというふうな話を聞いていません」旨、同被告人の同年七月二六日付検察官に対する供述調書中「その記事のうち、噂に聞いていたのは、市役所の女子職員B子さんのところだけで、他の女性関係は、その記事で初めて知つた。そんな色々な女性と深い関係にあつたなどという事は、とても信じられなかつた」旨、(へ)同荻原については、その同月二三日付検察官に対する供述調書中「週刊実話の記事を読んだとき、要するに川口の噂の域を出ない女性関係で人身攻撃をするものと判つた」旨の各記載に照らせば、いずれの被告人についても、その材料を提供する際の話し振り、記事を読んだ際の感想の洩らし振りからみて、所論のいう情況的事実や客観的各証拠を具体的に知つたうえで、真実と信じて荒谷に材料を提供し、又は記事を読んだものとは到底認めることはできない。
〔B〕 山田の件について
同控訴趣意第二点第二の六は、被告人らと弁護人らは佐藤イヱと川口との間に情交関係があるとの被告人らの感覚を裏付けるべく、調査によつて発掘し、法廷に顕出した証拠として、川口市長が同女に代つて、三浦惣一から土地を取得してやり、その換地につき同女の希望に叶う交換分合の措置をしてやり、仮換地指定変更と仮換地の隣接保留地の払い下げにつき利益を計つてやつたことにつき一連の詳細な事実を挙げ、果してそうであつたかと被告人らが確信を得たというのである。被告人らが、本件記事内容を真実と信ずるについての根拠となる証拠を犯行後に発見したことは、直ちに情交関係の存在を信じたことに正当の事由があることには結びつかないから、主張自体理由がないというべきである。
所論が発掘したという詳細な事実を被告人が知つていたという点につき、原審における被告人らの供述を精査してみると、被告人落合の第二二回公判調書中の「昭和四五年一二月頃、市の区画整理の仕事をしていたという丹生みきをから国民協会の松井が、秋田自由民主会館の隣接地の市の保留地がいつの間にか川口の個人名義になつているということをきいたことを知つている」旨、及び同細渕の第二六回公判調書中の「播磨良吉が県警の厚生課長のとき職員会館を建てようとしたら、その土地が川口の土地であつたということを昭和四五年頃きいた」旨の各記載の程度のものを見出し得るにすぎないこと、加えて、被告人らの検察官に対する供述調書、すなわち、被告人玉尾の昭和四六年七月一三日付九項、同東海林の同月一四日付四項、同草階の同日付二項、同落合の同月一八日付二項、同池田の同月二六日付二項、同荻原の同月二三日付三項の各記載を通じて、いずれも当該被告人が判示山田の件の記事は、噂の域を出でず、真実性の疑わしいものと思つた趣旨の記載があることに照らせば、被告人らにおいて、記事について真実性が疑わしいとの認識があつたと認めた原判示は肯認できる。
〔C〕 B子の件について
同控訴趣意第二点第二の八は、原判決がB子の件に事実の虚偽性の存否を判断する過程において、その八一丁以下に、同女につき、市長公室秘書係の勤務歴、市庁内で淀君の綽名をつけられたことがあること、公務出張で川口市長に随行した状況、海外出張をした川口市長から土産を貰つた状況、同女が川口の私印を預つていたことがあること、川口の妻らと共同して秋田ビル内の手芸品の出店に加わつたこと等に関して認定した諸事実に加えて、弁護人らが証拠により認め得るとする同女の更に詳細な職歴、その生い立ちと家庭の状況、随行出張における各行先、その泊日数、同行者等の詳細、同女が昭和四一年一一月に買入れた宅地に、同四三年一月に家屋を建て、爾来、養母とは別居し単身で同家屋に居住していたことなどの諸事実がある以上は、被告人らが両名に情交関係の存したことを真実と信じたことに正当の事由があると主張する。そこで、〔A〕に前述したと同様の見地に立脚して検討すると、原判決中八四丁以下の被告人らの虚偽性の認識に関する判示部分は優にこれを肯認しうるところであるが、就中、(イ)同玉尾については、その前掲七月一三日付供述調書中「荒谷や草階は、当時市長の秘書だつた保坂と関係があるらしいと話していた、私もその噂は聞いていた」旨、(ロ)同東海林については、その前掲同月一四日付供述調書中「保坂については、当時市長の秘書だつたこと、噂では、市長の二号でちよいちよい上京するし、東京から秋田へ戻る途中で川口に会つていたことがあり、一人で土崎の大きい家に住んでいるということは聞いていた、親と別居していたかどうかまでは知らなかつた、その家を見たこともない……」旨、(ハ)同草階について、その前掲同月一四日付供述調書中「荒谷に対し、市長秘書室勤務の保坂孝子と深い関係があり、最近家をプレゼントして貰い、土崎に住んでいるという話をしてやつたが、それは単なる噂にすぎず、今まで真偽を確かめたこともなかつたし、確かめる方法もなかつた」旨、(ニ)同落合については、その同月一七日付検察官に対する供述調書中「詳しいことは知らないので秋田ジヤーナルの伊藤にきけば判るかも知れないと話した、秘書の保坂と肉体関係があるとかの噂が出ていた、草階と一緒に話してみて、二人共余り詳しくなかつたので、たつたこれだけだつたのかと話し合つた記憶がある。荒谷は私たちの話をメモしていたが、余り中味がないので疑問を持たれたものと思う」、同被告人の同月一八日付供述調書中「荒谷の取材を案内したが、保坂の家では住居を確認しただけ、その車中荒谷から、市役所に行き市長に面会を求めたところ保坂が出て来たが、直ぐ引込んで現われず、他の人が市長は不在だと云つて面会ができなかつた、という話をきいた、私は、噂では川口が保坂を一人住まわせておいたが、母が病気になつたので一旦は引き取つたものの、また邪魔になるので外に出て行つて貰つたという話をしてやつた、ついで、神田の家、入院中のその父、神田の勤め先、鉄道クラブの佐藤イヱを訪問取材したが、神田には面会できず、佐藤は剣もほろゝで、何れの所も決め手になるものは得られなかつた、噂の女性が実在することは判つたが、市長との関係は極めて疑わしいと思つた」旨、(ホ)同池田について、その前掲同月二六日付供述調書中「私が記事を見て、噂に聞いていたのはB子だけ、他の女性は初めて知つた、B子は秘書課勤務の保坂という女子職員のことで、川口と深い関係にあり、家を建てて貰つたという様な噂を聞いていた、確かめたこともなく、真偽のほどは非常に疑わしいと思つた」旨、(ヘ)同荻原については、その前掲同月二三日付供述調書中「週刊実話を見たとき、その記事のうち、連絡船上の件とK組の件の記事はそのことを初めて知つた、四人の女性関係については、これまで確かめたことはなく、確かめようがない事柄で、単なる噂の域を出ないものだつた」旨の各記載にも照らせば、〔A〕に前出の判断に示したと同様に、所論の情況的諸事実を具体的に知つたうえ、真実と信じ、取材に応じ材料を提供し、又は刊行された記事を読んだものと認める余地はない。
(II) 被告人荒谷及び同山中について
(1) 、内田控訴趣意及び吉田・内田控訴趣意は、荒谷につき、(い)材料提供者らは、荒谷に対し、その抱く目的からして、具体性を欠かない可成りまとまつた話をしたことが想像に難くないこと、(ろ)取材相手が秋田市の有力者であつたこと、(は)川口が取材者に対し面会拒否あるいはコメント拒否に出た事実があること、(に)相手方女性の荒谷に対する態度、(ほ)記事差止め運動があつたこと、(へ)市内で広く噂になつていたこと、(と)記事の一部が秋田ジヤーナルや住宅ニユースに出たことがあること、(ち)川口の特異な性格などの諸般の状況から、記事に高度の真実性ありと信じたのであり、かく信ずるにつき相当の理由があるというのであり、(2) 、前記両控訴趣意は、山中につき、(い)山中は、荒谷から噂話としてではなく、調査済みの真実の話として報告を受けており、編集局長として取材記者荒谷の報告に余程不合理不自然な点のなかつた本件の取材報告を真実と信ずるのは当然であること、(ろ)秋田における相当有力な人たちの話であること、(は)同市では誰もが知つているような公然の噂でもあること、(に)記事差止めの依頼があつたことなどとも併せて、真実と信ずるにつき相当な理由があつたというのである。
〔A〕 被告人荒谷について
(イ)関係多証拠、就中、材料提供者である被告人玉尾、同東海林、同草階、同落合の(ニ)の〔I〕の〔A〕、〔C〕中に引用の検察官に対する各供述調書の記載のほか、伊藤為之助の同年七月一二日付検察官に対する供述調書中「荒谷から保坂の件をきかれたので、今、川口と一番近い女性で母と二入幕しだつたが、昨秋、土崎の浜の近くに家を建て、一人で住んでいる。人の話では、その家は川口が建ててやつた。川口は彼女の生活の面倒もみているのかと聞かれたので、小遣銭的な預金を委せているという意味で、預金の出入を任されていると答え、土崎の家の住所を教えてやつた、母親がいたのでは市長が来たとき都合が悪いだろうとの噂がしきりだつたとも話した、土崎の家は見に行つたが、ちやちな家で、お粗末すぎるので、やはり噂にすぎないので嘘だつたなと思つた、真実であるならば秋田ジヤーナルに載せたかも知れない」旨の記載、(ニ)の(I)の〔B〕中に引用の被告人らの検察官に対する各供述調書の記載部分、被告人らの原審公判調書中の各関係部分に関する供述記載によれば、
「被告人らは公判廷において、それぞれ、当時それらの話について誰からどのように聞いていたかを各別に供述しているが、それらの内容は、例えば『川口がその女に手を出したらしい』、『川口の二号になつた』(被告人草階)、『川口と仲良くなつている』(東海林)、『川口とねんごろの関係にある』(同落合)などというものか、あるいは『大助のやつ女ぐせが悪くてこまる』(同草階)などというように、いずれも極めて具体性に欠ける話が主であり、他に具体性を有する内容といつても判示のごとく被告人荒谷に提供した話の程度に止まるのであり、当該女性と情交関係があつたと認めさせるに足りるような具体性が高度な事実は何ら含まれていないのである。」
との原判示部分は、肯認することができるのであり、また、各女性関係につき、まとまつた話が出たことを想像させるに足りる資料も見出し難い。(ロ)関係証拠によれば、取材相手の被告人らが、いずれも秋田地方における政界、業界の有力者であることについての原判示(第一部、一、被告人らの経歴等)は概ね肯認しうるところであるが、他方、同荒谷は、取材相手がいずれも川口市長の四選阻止を標榜するいわゆる反川口側に属する者であること、そのことを取材相手の被告人らの言動から諒知していたことは前述のとおりであること、更に被告人荒谷の原審第二七回公判調書中「取材に際して、非常に目標をしぼつていたわけだつたが、向うの方でお膳立てのようなものが出来ていて、サービスをしすぎるような気がした」旨の供述記載等に鑑みれば、取材相手の被告人らが秋田市の有力者であることの一事によつて直ぐに、そういう人達が提供する川口市長の行状についての材料を真実だと信じさせる根拠となるものとは、社会の一般通念に照らして、肯認し難いところである。(ヘ)取材者に対し、面会あるいはコメントの拒否があつたとしても、そのことは、取材の申込とそれに対する拒否の方法、態度などを相関的にみて、拒否することが直ぐに、取材の対象者にとつて不利益な事実を、真実なりと信じさせるような特段の情況が客観的に認められる場合は格別、そうでない限りは、直ちにそういう事実を真実なりと信じさせるに足りるものでないことも、また一般の社会通念乃至経験則に照らして肯認されるところである。本件では、関係証拠を検討しても、そのような特段の状況は認められない。(ニ)相手方の女性らのうち保坂については、被告人荒谷の同年六月二四日付検察官に対する供述調書によれば、「秘書課で私の名刺を出して市長に面会を求めたところ、そのとき胸に保坂という名をつけた女性が出て来たので呼び止めたが、奥に入つて出て来なかつた」旨、同年七月一一日付検察官に対する供述調書によれば、「……呼びとめようとしたが、間に合わなかつた」旨、原審第一六回公判調書中の荒谷の略これらと同旨の記載、荒谷の同年六月二四日付検察官に対する供述調書中「鉄道クラブに佐藤イヱを訪ねて面会ができたが、本人の口から市長と肉体関係があつたと云うことは聞けなかつた」旨、原審第一六回公判調書中の荒谷の「佐藤イヱに向つて、『市長と関係があるといわれているが、どうですか』と問うたら、非常に最初はおこつたような、まあ、非常に、もちろんいい取材じやないんでですね、驚いたようなあれで、それで、まあ否定されたわけです、それで鉄道クラブのママには誰でもなれるというわけではないでしようねということを言つたら相当立腹されたようでしたね、私も別にけんかしに行つたわけじやないんですね、それ以上は、別に、ひと通り聞いて出て来た」との記載のほか、関係各証拠を調べても、相手方女性の荒谷に対する態度に、川口との間に情交関係のあることを確信させるに相当な客観性のある証跡のあつたことは見当らない。(ホ)記事差止めの依頼のあつた点については、原審第一〇回公判における証人北川衛の供述中「秋田市長から世話になつている玉野という人や、川口市長が敗れると都合の悪いという鈴木代議士らから、川口市長のスキヤンダルの事実がある、ないにせよ、それを書かれては困るといつて依頼を受け、週刊実話の編集部へ電話をしたら、山中は不在で八木橋が出たので、秋田市長のことに関して取材を進めているかと聞いたら、やつているというので、実はそれをやめて欲しいという依頼が来ているんだが、という内容を話したら、山中に直接話してくれといつた、一日間をおいて山中に電話して、実は秋田市長に関してちよつと話をきいてほしいと申したところ、山中はもう表紙に刷り込んでしまつておそかつたと言つた、何とかならないかと頼んだが、それには巨額の費用がかかるというので依頼者側もとりやめにした」旨、第二六回公判調書中被告人山中の供述として「三月八日だかに、北川から電話があつて、川口市長の記事をやめてもらう方法はないかというので、私は、秋田の市長に何回も意見、コメントを取りたいと思つているが、取れなかつた、締切つてしまつたから申し訳ないがという返答をした、まあ、あの人も随分ひどいことをやつて、いろいろあるから、まあ、仕方がないと言えば仕方がないもんな、というつぶやきの電話だつた。長年の経験と勘では、かえつてこういう事実があるから差止めに来るんだなというふうに受取るのがまあ普通の場合です、その時もそうでした」旨、荒谷の原審第一五回公判調書中「三月三日、最初に川口市長に面会を求めた日に、本社の八木橋次長に電話で第一報を入れた際、同人から、記事を差し止めてくれないかという北川からの電話が本社に入つたと聞いた」旨、更に「朝一〇時頃に行つたんですが、約三〇分ほど市長室でやりとりしたんですが、その二、三時間後にもう、こちらが行つても会いもしないで、すでにやめてくれというような電話を入れるということは、事実に近いという自信と、それから何て卑怯な男というか、……裏から手を回すというようなことで非常に憤慨したし」との供述記載及びその他の関係証拠によれば、荒谷の取材中に、山中編集局長や八木橋次長あてに記事差止めの依頼がなされたこと、それを荒谷が、同日中に知つたことは明らかであり、また荒谷がその依頼は、その源を川口に発していると憶測して憤慨すると同時に、情交関係の事実が真実ではなかろうかとの感を抱いたことを窺いえないでもない。しかし候補者の女性関係の記事が掲載された雑誌が選挙前に刊行されれば、その真否に拘わらず、候補者側が選挙の影響を慮つて発行の差止めを求めることは、社会常識から何ら異とするに足りないことであり、差止め運動があつたことを以て、直ちに情交関係の存在を信ずるに正当な理由があつたと断定することはできない。(ヘ)関係証拠によれば、所論の秋田市に広く噂となつているということは、荒谷が、主として材料提供者である被告人らから聞知したことであること、荒谷は、かつて新聞、雑誌関係の数社で記者として体験を積み、現に週刊雑誌社の取材記者であることが明らかであるから、噂となつていることや、すでに秋田ジヤーナルと住宅ニユースに掲載されていることが、同人の心緒に及ぼす影響は、常に受動的に噂や活字の前に晒されている一般人における程強いものでないことは、社会通念上肯認し得られるところであるし、(ト)所論川口の特異な性格とは、内田控訴趣意全文から忖度すると、「ワンマン的性格(一九頁)」「性豪伝……性格の一端(二三頁)」をいうものとするほかないが、これもまた、関係各証拠によると、取材者荒谷が材料提供者たる被告人らの話から川口の性格として形成したものにすぎないと窺われるところ、同被告人は材料提供者の話が多分の扮飾、誇張、創作を含むことを察知し、或る程度用心をして取材に当つていた節は、その検察官に対する各供述調書や、原審公判調書中の供述記載の随所に窺われるところであつて、荒谷が川口の性格を、直ちに情交関係が真実に相違ないと思わせるほど偏向した性格だと考えていたとは証拠上到底認めることはできない。(チ)したがつて、原審が事実審理を経たうえの判断として原判決の理由中、
「また、判示記事内容のうちの川口と各女性の間の情交関係の存否の点について考察しても、被告人らの中でさえも、松岡の件については被告人佐藤(同人の公判廷供述、前掲各検調)および同池田(同人の前掲46・7・26検調、公判廷における検察官の質問に対する供述)が知らず、山田の件については被告人伊藤(同人の公判廷供述、前掲各検調)、同池田(同人の公判廷供述、前掲各検調)同玉尾(同人の46・7・13検調)および同佐藤(同人の46・7・13検調)が知らず、被告人草階も昭和四六年一月末に住宅ニユースの被告人廣田の取材に応じた時には知らなかつた(同人の46・7・14検調)のであり、またB子の件については被告人佐藤が知らなかつた(同人の46・7・13検調)というのであるから、右記事内容になつた各話は、秋田市内においても、それ程までには広範囲に知れわたつていたものではなかつたと認められるのである。そして、それらの件のうち、情交関係の存否以外の点、すなわち、松岡の件のうち東京別宅および車屋の点、奥田関係の件(某課長に押しつけて結婚させ他市の部署へ追いやつた)、B子の件のうち家の新築および市の金の自由な出し入れの点、ならびにK組の件に至つては、多くの被告人がそれらの話を以前に聞いたことがなかつたことは前掲各証拠によつて認められるところである。」(原判決八五丁)、「被告人荒谷は、本件記事材料の提供を受けた者につき、秋田の有力者もいるが、それらの被告人東海林、同玉尾、同草階、同落合、同佐藤および同伊藤がすべて川口市政を批判し同年春の市長選挙では川口と対抗する荻原を推す自民党関係の者であることを、第一会館和食コーナーや秋田ジヤーナル事務所での話から諒解し、檜垣にも取材結果としてその趣旨を伝え、記事に『アンチ川口派のデツチあげとみれないフシがないでもない』と書かせているのである(被告人荒谷の公判廷供述、前掲各検調および昭和四七年押第五九〇号の一二の原稿三八枚)。ところが被告人荒谷は、記事材料の話の真偽を確めるため市庁舎へ行くと市長公室秘書係参事からそれらの話がすべてでたらめであると言われ、佐藤イヱにも川口との情交関係を否定されたりしているにもかかわらず、取材の観点を変えていわゆる川口派の者からも取材しようという努力を全くしていない。
また、被告人荒谷は、連絡船上の件、松岡の件およびK組の件については、話の関係者に面会する等の真偽の確認の手段を全くとつていないのである。すなわち、連絡船上の件は被告人伊藤の話を聞いたのみであり、松岡の件では車屋があるという秋田ビルの写真をとつたのみであり、K組の件では工藤組前社長の二号が経営するというバーヘ行つたのみでそこで工藤組に関する何らかの話を聞いたことはない。
さらに、提供を受けた記事材料のうちには直ちにそれが真実であるとは信じ難いような連絡船上の件も含まれていたのである。
以上のような各事実に照らせば、被告人荒谷には、前記のごとく記事差止めの依頼、川口の面会拒否等の事実のみで、記事全体が真実であると信じたとは到底認め難く、同人には、真実と信じるにつき相当の理由がなかつたことはもちろんそれらの記事内容が虚偽であることについて少なくとも未必の認識があつたものと認められる。」(原判決九一丁ないし九二丁)
の部分は、肯認することができる。
〔B〕 被告人山中について
(イ)関係証拠、就中、同被告人の同年六月二四日付検察官に対する供述調書中「三月四日午後四時頃の電話で、荒谷に出張を一日延ばして翌日帰るように指示したのは、荒谷が三回も行つて川口市長に会おうとしても会えなくて、市長のコメントが取れていないことが判つたからで、当の本人の言い分が全然聞いてないのではまずいと思つたからである、荒谷が五日に帰社したので取材先を聞いてみると川口市長とは反対の立場にある人達ばかりに会つて話を聞いて来たように思えた、そのあと荒谷は秋田で五千部の注文があつたというので、その注文先を確かめさせたら自民党関係の人だと判つた」旨、同じく同月二七日付供述調書中「三月四日夕方の荒谷からの電話では、市長のコメントを取つたかと念を押したら未だだというので、結論としていけるのかと聞いたら、いけると思うという返事をしたので、それでは次の号の表紙のネームに入れるので、明日でいいから市役所に行き市長のコメントを取つて来いと指示した、翌五日の午後荒谷が帰社した、すでに表紙のネームを入れた後なので、取材内容が心配だつたから取材先を聞き、四人の女性から取材したかと尋ねたところ、女性の経営している店にも行つた、市長の一番可愛がつている現秘書に逢うべく三回も尋ねたが面会できなかつたという程度しかなかつた、表紙のネームにまで入れてしまい、一折のトツプ記事部分を空けているので今更どうするわけにもゆかないが、結論としていけるかと確かめたら、いけるというので市長のコメントは取れたかと聞いたら、いくら手を打つても帰るまでには逢えなかつたのでコメントはとれなかつたと云う事だつた、そこで、明日の昼過ぎまでには何とか市長のコメントが取れるように電話をかけろと指示した」、同じく同月二九日付供述調書中「それから秋田の五千部の注文先に確認の電話をさせたが、その電話のあとでも、もう一度川口市長からコメントは取つておけよと念を押した、翌六日荒谷は多分昼頃出社したと思うが、確かめたところ市長のところへ何回も電話をかけたがコメントは取れなかつたというので、不信の感があつたので本当にかけたのかと念を押した、すると荒谷はふくれたような態度で、ちつとも信用してくれないという意味のことをつぶやきながら、私の所を離れて行つたので、それ以上はコメントを取ることを要求しなかつた」、「その日の午後、檜垣から原稿を受取つて見たら、余りにも内容表現が強すぎるので困つてしまつた、実は四日と五日の荒谷の報告からは、革新市長でも十二年間も市長の座にあると段々と行政官僚的になり口には貧乏人の生活安定云々をし乍ら、その実、女性関係も出来、優雅な生活をするようになるのだと云う程度のほんのりとした読んでいてニヤニヤしてくるような内容の記事になるものと思つていたのです、……困つたと思つたが、表紙にネームを入れたし、原稿締切りまでにトツプ記事の原稿を取る時間的余裕がないので、思い切つて印刷にまわした」旨の記載があり、また原審第二六回公判調書中同人の供述として「三月四日の電話では、もう一日ずれても必ず市長に会いそのポイントの女性の質問をして帰つてくれと話した、五日の報告のときも、市長のコメントは取れたかと聞いた、取れなかつたという返事だつたから、それは金曜日、帰る時に、土曜日もう一回午前中時間があるから、市長に電話しろと指示した、くり返し指示したのは、刑事事件になつた場合以外は、相手のコメントを取るのが普通だから、原稿を載せる瞬間まで、最後までそれをやり続けるのが我々のつとめです、一方的なことを書かないで言い分があれば載せようということともう一点、八木橋から北川の電話はもみ消し工作のニユアンスだという報告もあつたから、そうなら何か意思表示もあると思つたから、川口市長に電話をかけるように指示した」、「荒谷君の場合、正直言つて一人前になるには、そう簡単になれないんです、まあ特別に能力があるなしの意味でなくして、その期間は、ある時間をかけなければいけない、彼は、交際範囲が普通の人よりもあつたから、原稿を書くというよりも、俗にいうネタ捜し、材料捜しの点では普通並みかそれ以上であつたと思う、ただ、表現する点では、まあ、年季が入つていないから無理からぬことと思う、見習修業中という段階じやなかつたかということは、非常に微妙、むつかしいが、僕としてはその期間はすぎたと思う、……ネームは入れた、今のような荒谷の立場からみて、果して十分な取材ができているかどうか非常に気になつたのではないかという点については、取材が不備で気になるのと、完全であつて、やつぱり、気になるというか心配はある、心配しているのは事実だが、欠陥があつて心配する、それは違うと思う、ということは、四日の夜、或る程度部下と信頼関係ですけれども、いけると何回もお互に確認し合つた以上は、これはやはり相当な自信のあつてのことだと思いましたから、信じておりました」旨の各記載に鑑みれば、内田控訴趣意中第一点第八の「山中としては編集局長として部下の取材記者の取材について、間違いないと言えばそれを信用するのは当然であつて、余程不合理不自然な点がない限り、信用せざるを得ない」、また、吉田・内田控訴趣意中(一)の(2) の「取材内容を真実と信じた被告人荒谷からの報告を上司たる編集局長の山中も亦信頼するに足る報告としてその内容を真向から信じていたものとみられる」とは到底認め難いと言わなければならないし、(ロ)荒谷のもたらした川口市長の行状についての取材報告は、その取材先が秋田市の有力者であるからといつて、直ちに、その報告を受け、その報告に基づいて作成された記事を読んだ山中において、これらを真実と信ずる相当な根拠となり難いものであることは、容易に肯認されるところである。(ハ)「被告人山中が秋田市では誰もが知つているような公然の噂であることなどと聞いたこと」、(ニ)同被告人に対し記事差止めの依頼があつたことの二つは、記事を真実と信用するに極めてもつとものことだとか、そう信じるにつき相当の理由になるとかいう場合に当らないことは、前述(二)の〔A〕の(ホ)、(ヘ)において被告人荒谷について示した判断と同様である。更に、所論(2) の(い)、(ろ)、(は)、(に)の事由が競合し、かつ、被告人山中が荒谷に市長のコメントを取るように再三に亘つて命じ、檜垣作成の記事を見て功績面を追加させたり、政治評論家のコメントをとつて付加するよう命じたことがあつても、なお、被告人山中に記事を真実であると信ずるに相当な理由があつたというを得ないものである。したがつて、原判決中、被告人山中の虚偽性に関する認識についての
「各証拠によれば、被告人山中は、被告人荒谷から取材先が秋田の有力者であることの報告を受けていたが、五、〇〇〇部の注文者が『自民党秋田県連落合』であること等から右取材先が自民党関係者であることを認識し、さらに、記事の原稿を見て、川口市長が革新系であり、同年春の選挙に立候補し四選をめざしていること、およびアンチ川口派のデツチあげとみれないフシもないでもないことを知つたものと認められる。さらに、各証拠によれば、被告人山中は、被告人荒谷から川口市長からは話を聞いていないことの報告を受けており、さらに、記事原稿を読んで市役所秘書課員もそれらの話を否定し、噂される女性も川口との情交関係を否定していること、および、記事のうち一部の話については全くその真偽の確認の手段をとつていないことを認識したものと認められる。
また、本件記事のうちには、直ちに真実であるとは信じられないような(被告人山中も、公判廷において半信半疑であつたと述べている。)連絡船上の件も含まれていたのである。
以上のような各事実に照らせば、被告人山中には、前記のごとく川口が面会を拒否し、記事差止めの依頼が来たからといつて、それのみで右記事全体が真実であると信じたものとは到底認め難く、真実と信ずるにつき相当の理由がなかつたことはもちろん、それらの記事内容が虚偽であることにつき少なくとも未必的認識があつたものと認められる。」(同九二丁、九三丁)
との判示部分は相当であり、原判決に所論の事実誤認のかどはない。
(三) したがつて、記事の虚偽性とその認識についての原認定を論難する(一)及び(二)の各論旨はいずれも理由がない。
第八したがつて、第一乃至第七の各主張については、各弁護人の控訴趣意中の論旨はすべて理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木梨節夫 裁判官 時國康夫 裁判官 佐野精孝)